著者の松下智は茶の原産地研究の第一人者である。本書は100ページに満たぬ小さなブックレットであるが、著者のこれまでの研究が簡潔にまとめられている。
著者の研究キャリアの出発点となったのは、茶の原産地はどこかという昭和28年に提議された問題で、特に日本には「ヤマチャ」と呼ばれる自生の茶があったことから、渡来説と自生説が対立していた。著者は日本の「ヤマチャ」研究に着手して日本各地の産地に足を運び、10年を要して「日本のヤマチャは中国から渡来した茶が自生化したもの」との結論に達した。
その時は中国は国交自由化していなかったため原産地調査はできなかったが、その後自由化されて著者は西双版納(シーサンパンナ:雲南省南部)だけでも9回も訪問して茶の原産地と思われるところを特定した。本書は、そうした一連の研究を一般向けにまとめたものである。
そもそも茶は、東アジアの照葉樹林帯の本来的な構成植物ではないようだ。茶は照葉樹林文化圏において広範囲で焼畑植物として栽培されていたが、それは自然に任せた栽培ではないのである。茶の木自体は本来山地(高山性)の植物なのだ。
ヤマチャは暖地に多いが特に九州山地に多く、山奥であっても消費地に運んでいけるところに生育している。これは茶が人々の自家用で栽培されていたというより、最初から商品作物として栽培され、それが自生化したことでヤマチャが生まれたのではないかということを示唆するのである。また遺伝的にもヤマチャは中国の品種と等しい。このような状況証拠を積み重ね、著者は「日本に茶の原産地は認められない」と結論づけた。
では茶の原産地はどこか。著者は中国・東南アジアを調査し「茶は雲南省南部の山中に原産したが、その地方に住んでいた人々は茶の木を利用するということはなく、漢文化がこの地方に及んでから茶の利用が始まった」と考える。少数民族の茶の栽培と利用、茶の遺伝的多様性(葉っぱが大きな大葉種とか高木性の茶の木、逆に小さな茶の木などがある)などを調査した結果である。
また茶の原産地問題を考慮するにあたり、ベテルと呼ばれるものが取り上げられる。これは「アレカヤシ(ビンロウジュ)」 の実をキンマの葉に石灰を塗ったもので包んで口にする古くからの嗜好品である。ベテル(檳榔)文化圏と茶の文化圏が雲南あたりで重なり合っていることは注目される。雲南あたりも元来はベテル文化であったものが、茶の効用を知り飲茶へと変化していったことが予測できるからだ。
こうして生まれた茶の文化は、どうやって日本まで到達したか。本書では唐代から宋代の「華中・江南ルート」(抹茶)、明代から清代の「華南・閩南ルート」(蒸した茶を揉む煎茶の製法)が簡単に検証されている。しかしながら、中国側の事情には詳しいものの、日本側のことについてはちょっと手薄な印象であり、概略的な説明である。ちなみに、このあたりは日本側資料を詳細に分析した神津朝夫『茶の湯の歴史』がずっと参考になる。
最後に本書では日本の茶文化の成立について語っているが、高尚な「茶の湯」ではなくて、どちらかというと僻地に残った古い茶の製法や飲み方について述べている。茶は「タンニンの渋みを味わうもの。茶の他に渋みを味わう食材はほとんどない」という指摘は、簡単ながら頷くところ大であった。柿にはタンニンが豊富だが、柿の場合は渋みを抜いて食べるのでタンニンを味わうというのは日常生活では茶だけかもしれない。
なお、より詳細な茶の原産地研究については、その後『茶の原産地を探る』として出版されている。
茶の原産地についての著者の半世紀にわたる研究が簡潔にまとまっている本。
【関連書籍の読書メモ】
『お茶のきた道』守屋 毅 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2021/11/blog-post.html
お茶の起源をめぐるフィールドワークの記録。西双版納の旅行記は茶の原産地の記録として面白い。
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