通史的に読める日本宗教事典。
本書の事典としての特色は、(五十音順ではなく)通史的に事項が整理され、日本宗教史として通読できることである。
その事項は古代、中世、近世、近代の4部構成となっており、大項目が80、文庫版で2段組、約450ページの分量だ。
4部はほぼ均等に配分されているが、近世及び近代については解説が丁寧で、一方、中世についてはかなり簡略である。例えば時宗については2ページほどしかなく、黒住教が8ページあるのとは対照的だ。中世については他の項目と密度を合わせるなら、2倍以上の分量が必要だったと思う。
逆に、近世及び近代は、著者の専門とする民衆宗教や国家神道が中心となるだけにかなり詳細である。この部分は、独立した近世宗教史として読むことができると思う。如来教、黒住教、天理教、金光教、本門仏立宗など、近世の民間宗教運動は非常に高く評価されており、国家体制と癒着して沈滞した仏教や神道に対して、民衆の生活実態に即した人間中心主義の教義に大きな意義があったと説く。
さらに明治維新を経て展開していった新宗教——丸山教(山岳信仰を土台にした創唱宗教)、蓮門教(法華信仰が神道化した宗教)、大本教、ほんみち(天理教の分派)、生長の家(大本教系の創唱宗教)、霊友会(法華系新宗教)などについても概ね高い評価が与えられている。これらの多くは国家から弾圧を受け、その教義を国家主義に迎合させるにせよ、徹底的に対決するにせよ、国家神道との関係が最重要課題となっていた。国家が既存の宗教を換骨奪胎し、無内容化させていく中で、民衆の素朴な信仰心の拠り所となったのがこれらの新宗教だったのである。
新宗教を、なんとなく胡散臭いもの、怪しいものと感じるのは、まさに近代宗教政策の産物だと著者はいう。曰く「新宗教を低俗とし淫祠邪教視する風潮は、近代天皇制国家の宗教政策の所産であり、既成宗教と新宗教の間に、宗教としての質的差異や優劣をいう客観的根拠は存在しない」とのことだ。
しかし個人的には、近代の民間宗教のほとんど全てが「病気治し」を行っていることが気になった。幕末までの民間宗教では、あまり「病気治し」のようなものはなく信仰中心主義とでもいうべき実直かつ素朴な教えが中心となる。しかし明治維新後の新宗教は現世利益的な側面が強調され、特に「病気治し」がその活動の中心に位置づけられる宗派が多い。明治時代というと近代的な医学も発達しつつあったはずなのに、なぜこの時期に「病気治し」が盛んに言われるようになるのか興味が湧いた。
もちろん、旧宗教(伝統的な仏教や修験道)などでも病魔調伏といったことは行われていたので、「病気治し」を新宗教のみの非合理的な活動とするのは公平な見方ではない。とはいえ、同じ民衆の宗教運動でも明治前と後ではむしろ明治前の方が開明的な感じがするのが印象に残った。
なお、本書は図像や文化、葬送、建築、造塔といった側面についてはほとんど触れられていない(例えば、「五輪塔」のような項目はない)。本書が対象とするのは歴史や思想の問題であって、これらは対象外とした模様である(そもそも著者の専門分野でもないと思われる)。しかし事典として考えると、これらが欠落していることは残念である。
全体を通じて、事典としては網羅的でない部分があるが、通史としては通読しやすく、かなり幅広く日本の宗教史が網羅されており、頭の整理に役立つ本である。
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