2017年5月8日月曜日

『神秘学マニア』荒俣 宏 著

神秘学に関する小文の集成。

本書は、著者が70年代後半から90年代初めに発表した神秘学にまつわる気軽な文章をまとめたものである。神秘学といっても、宗教的なそれについてはさほど触れられておらず、サブカルチャー的なものが中心だ。

第1部はオカルトについて。ヨーロッパで今(執筆当時)でも息づいている幽霊信仰とか、吸血鬼の話なんか割と面白い。

第2部の前半は著者なりのオカルト史。ベルクソンの霊的進化論など、思想史的なものからイルミナティの陰謀論の発祥まで、やや脈絡はないが興味深い。後半は数についての神秘思想。ピュタゴラス学派の考え方や数についての迷信(?)の紹介。

第3部は70年代のLSDを中心としたドラッグ文化や神秘的サブカルチャーの展望について。興隆と挫折を繰り返してきたLSDの申し子たち(例えばティモシー・リアリー)への挽歌。

本書に語られる「神秘学」は、学術的・体系的なものでなく、エピソード的なものであって、本書を読んで「神秘学」の何かがわかるというものでもないが、私が非常に興味を持ったのは本書に横溢する80年代の雰囲気そのものである。

21世紀になって、オカルトはすっかり児戯に堕してしまったが、1970年代には(だったと思うが)米国やソ連は大まじめになって超能力の研究をしたり、LSDは本当に人間の精神を解放すると信じられたりもした。

70年代後半は現代の様々な学問が堅牢な体系を築いた時代でもあったと思う。一方で、「成長の限界」が認識されるなど、現代文明はこのままでいいのだろうか? という内省も促された時代でもある。そうした雰囲気の中で、既存の学問体系への反発、東洋思想(ZENなど)への接近、未だ科学で解かれない超能力への憧れ、LSDやドラッグによる「精神の解放」の強烈な体験、性の開放の進展などがないまぜになって、伝統的な西洋文明に対する挑戦が、西洋社会そのものによって草の根レベルから行われたのだ、という気がする。

今になってみると、どうして当時の人はこんな子供だましに引っかかったのだろう、という部分もある。しかし本書を読むと、子供だましどころかそっちの方が真理への近道と感じた当時の人たちの気持ちが少し分かる気がする。

大げさに言えば、「西洋文明」に抑圧されていた人間本来の力を解放するための新しい教義こそが、「神秘学」であり「オカルト」であり「LSD」だった。それら自体は、頼りない張りぼてだったかもしれないが、70年代から80年代にかけて文化の伏流水として確かに機能していたのだ。

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