地蔵菩薩について様々な角度から考察する本。
著者は龍谷大学教授の眞鍋廣濟氏。著者は古典文芸を専攻し、元来は仏教研究の専門家ではなかったようだが、さまざまな縁から地蔵菩薩について興味を持って折々にその故事来歴を調べ、たびたび雑誌『密教研究』などで発表してきた。本書は、そうした数編をまとめて出版したものである。
内容は雑駁であるが、 地蔵菩薩とは何か(特に地蔵菩薩は男性なのか女性なのかという問題)から始まり、起源、聖典、信仰の歴史、賽の河原の思想との関係、六地蔵と六地蔵巡り、地蔵盆の由来、尊形、真言・種字・契印、他の菩薩との関係、地蔵菩薩と本地垂迹思想、地蔵菩薩と遊戯、俚諺、歌詠文学、という構成で、さながら地蔵菩薩に関する百科事典的なものとなっている。さらに「余説」として、『沙石集』における地蔵菩薩の研究、近江における地蔵信仰、地蔵菩薩霊験記考、地蔵盆についての子ども向け解説、を掲載している。
お地蔵さん、というと、我々にとってはかなり身近なものであり、つい分かった気になるものであるが、改めてこうして深く考究してみると、お地蔵さんとは一体何なのか不思議でよくわからないものだということに気づかされる。大正の終わりから昭和初期にかけて、地蔵研究には一種の流行があったらしく、著者がまとめるところによれば多くの人がこれを研究したようである。本書は、そうしたものを下敷きにして、著者の専門とする古典文芸を頼りにして地蔵信仰の歴史を解き明かし、「お地蔵さんとは何だろう?」という疑問に応えようとしたものだ。
例えば、地蔵菩薩というと「地獄におちたものを救う菩薩」であるというのが一般的な理解であろうが、この他にも地蔵菩薩にはさまざまな神格がある。例えば、中国では地蔵は閻魔大王と同じものと見なされた。地獄で生前の罪を裁く存在と、地獄から救い出す存在が同一視されたのはどうしてか。さらに、地蔵菩薩は賽の河原で惑う子どもたちを守護する存在とも見られたが、これはどうしてか。本書は、こうした問題に対して著者なりの解答を提示するものである。
それらの疑問は、普通はどうでもいいことと見なされるものばかりだ。「地蔵菩薩は男性なのか女性なのかという問題」なんかは、「そんなのどっちでもいいだろ!」と大半の人が思うに違いない(私も思った)。とはいえ、そういう疑問一つ一つにそれなりの解答を与えていくことは知的興奮がある。
ちなみに、私が地蔵菩薩に興味を持ったのは、「なぜお地蔵さんは路傍に雨ざらしになっているのだろう」ということからである。普通は、仏像というものは出来るだけ祠堂を設けて祀るものと思うし、お地蔵さんも大切に祀られているものもある。しかし路傍に雨ざらしになっているものも多く、これは他の菩薩・如来に比べずっと多いのではないかと思う。これはどうしてだろうか。
本書には、これには真正面からの解答はない。ただ、我が国では地蔵菩薩と道祖神が習合したためであろうと簡単に書いているが、だとしても、なぜ地蔵菩薩が道祖神と習合したのかということまで解かなくてはならないと思う。
それから、戦乱の時代に流行した勝軍地蔵への信仰についても、本書ではごく簡単に触れられるに過ぎないが、芝の愛宕神社に勝軍地蔵が祀ってあるごとく、勝軍地蔵は民間信仰では大きな存在感があるので、勝軍地蔵の故事来歴も詳しく知りたいところである。なぜ地獄から人びとを救う菩薩が、戦における勝利を加護する存在へと変化したのだろうか。
さらに、地蔵はなぜか「地蔵塔」という塔によって表現される場合があり、これも他の菩薩・如来とは違っている。なぜ塔になるのか、非常に気になるところである。
本書は、地蔵についての百科事典的な体裁を企図して書かれてはいるが、著者の専門が日本の古典文芸であるために、中国やインドにおける地蔵信仰についてはさほど詳しくないという弱点がある。また、断片的な研究をまとめたものであるため、全体としてみてさほど体系的ではない。そうであるから、上のような私の疑問に対する答えは十分に得られなかった。
しかし、現在手に入る中では本書はおそらく最もよくまとまった地蔵研究書であり、この分野の基本文献とも言えるだろう。実際、原書は昭和16年に発行されているが、そっくりそのまま昭和44年に翻刻されているのは、需要があったためであろうと思う。
少し古いが、地蔵菩薩について深く知りたいと思った時、必ず目を通すべき本。
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