先日、「石蔵古本市」というイベントを主催した。
雰囲気のよい石蔵を貸し切って、古本屋さん5軒を呼んだ古本市を行うというものである。それを取り仕切ってくれたのが鹿児島市の「つばめ文庫」という古本屋さん。
この「つばめ文庫」、「本で旅する」というテーマを掲げていて、ちょっと他で見ないような探検ものの古書が充実している。
「本で旅する」——すごくステキなテーマだと思う。でも、実際にはそういうたぐいの本はほとんど売れないらしい。確かに、ちょっと昔の、未開のジャングルを探検するような本は、最近流行らないとは思う。「National Geographic」誌すら売れなくなってきている世の中である。
しかしこの「本で旅する」ということについて、ちょっと思うことがあるので今回は昔語りをしてみたい。
私は、実は小学校低学年の時にはあまり本を読んだ記憶がない。本を読むより外で遊ぶのが好きだったように記憶している。正直、読書は興味がなかった。実を言うと、今でも読書より行動の方が好きだと思う。
そんな私が、初めて、「本を読んだ」という実感を持つ体験をしたのが小学校4年くらいの時。風邪で数日間学校を休んで、ずっと寝ていなくてはいけなかったので退屈で仕方なく、それを見かねた母が図書館から数冊の本を借りてきてくれたのだ。
その中に、”SFの父"ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』があった。出版社も翻訳者も全く覚えていないが、子供用のシリーズの、随分古い本だったように思う。これが、とても面白かった。病気も忘れて熱中した。これが、初めて「本を読んだ」という体験だ。
こうなると、ジュール・ヴェルヌという作家の本をもっと読みたくなる。それで、人生で初めて、自分の意志で買った本がヴェルヌの『海底二万里』である。それまでマトモに本を読んだことのない人間が、いきなり新潮文庫の小さい字で500ページ以上ある本に取り組んだのだから、読むのに結構苦労したような気がする。だが、それ以上に面白かった。それから、ヴェルヌの空想科学小説系の本は、数年かけて(簡単に手に入るものは)全て読んだ。そういう、ヴェルヌの作品の解説にたびたび登場する有名な逸話がある。
ヴェルヌは、11歳の時に初恋の相手のためにサンゴの首飾りを手に入れるべく、インド行きの船に水夫見習いとして密かに乗船した。しかし途中で父に見つかってこっぴどく怒られ、「もうこれからは、夢の中でしか旅行はしない」と誓ったという。事実、ヴェルヌは『八十日間世界一周』をはじめとして世界を股にかけた数々の冒険ものの本を書いているが、母国フランスから出たことがなかったはずである。
幼かった私にとって、この逸話は大変心強いものだった。鹿児島の田舎に生まれ、外の世界に出て行くすべも持たない子どもにとっては、世界は遠すぎた。都会では電車でどこか行くことも出来るが、田舎では車の運転ができるようになるまで、自由にどこか行くということが適わない。だから、書斎から一歩も出ずに(と当時の私は思っていた)外国どころか『月世界へ行く』まで書いてしまえるヴェルヌには勇気づけられた。
人間は、筆の力でどこへでもいけるんだと。
実際、本の虫になることで、実際にそこへ行くよりも通(ツウ)になってしまった人がいる。古本とジャズの伝説的人物、植草甚一氏である。彼の『ぼくの読書法』というエッセイ集の中に「ぼくの原体験は英語を覚えたことだ」というのがある。
普通は原体験というと、戦争や肉親の死といったものが多いが、植草は早い時期に英語を覚え、それが彼の世界を変えた。大正から昭和、そして戦争の時代、やがて戦後へと進む時代の中で、彼は洋書を漁り、「今ここにある世界」とは別の世界へと飛翔したのである。
言うまでもなく、当時は自由に外国へ行けない時代だった。彼の偏愛した洋書や、ジャズや映画といったものは、細い細い管を通って日本へと僅かにしたたり落ちてくるだけ、といったような時代だ。それでも、彼は自分が面白いと思ったものを孤独に愛し続けた。行くことのできないニューヨークの、街角にあるはずの、古書店にたたずむ自分を空想したに違いない。1974年、ようやく彼はニューヨークに降り立った。しかしそれは見知らぬ街ではなく、既に本や雑誌で顔なじみになった街になっていた。どこになんの店があるか、行かなくてもまるきり分かっていたという。実際、それ以前でもニューヨークに行く予定の人がいれば、「どこそこへ行った方がよい」とアドバイスしていた程だった。
本を読むことで、植草甚一はニューヨークを何度も旅していたのである。
地理的な場所でないところにまで、本で「冒険」した人もいる。「サディズム」の語源ともなった、マルキ・ド・サド侯爵である。
サドは、生来の嗜虐的な性向から非人道的なセックスを行い、危険人物として人生の1/3ほどを牢獄で過ごさなくてはならなかった人物。女性を裸にしてベッドに縛り付けナイフで切りつけたり、まあ牢獄に入れられるのもしょうがない素行の人ではあった。が、彼が並の異常性愛者と違ったのは、自分の心の奥にある猟奇的欲望を実行に移すだけでなく、それを行う自分自身を冷徹に観察して、その心理を検証・分析してみなくては気が済まなかったところで、彼はその「検証結果」を数々の文学作品に昇華させていった。
そういう作品の最高峰が『ソドム百二十日』という未完の大作(大作といっても序文と第1部しか書かれていないので実際には短い)。これは、ルイ14世治世の末期、悪行によって莫大な私財を築いたブランジ侯爵という人物が、友人3人とともに、郊外の館で奴隷状態にした42人の男女をなぶりつつ120日間に及ぶ大饗宴を催すという話。この大饗宴の中身はほとんど虐待と強姦と殺人であって、42人のなぶり者のうち30人はむごたらしい拷問によって絶命する。そういう、悪逆の教科書みたいな作品である。
しかしサドがこの奇妙な作品を書いたのは、やはり牢獄の中のことであった。時はフランス革命の4年前。バスティーユ牢獄の一室に閉じ込められていたサドは、監守の目を盗みつつ、小さな紙片を繋ぎ合わせた巻紙に蟻のような小さな文字でこの作品を執筆していた。だが牢獄から一切の私物を持ち出すことを禁じられていたサドは、おそらくは時間か紙の不足のために未完になっていたこの原稿を泣く泣く手放すことになり、さらには革命の混乱で原稿は行方知れずになってしまう。
この作品が漸く出版されたのは、サドが執筆した120年後の1904年のこと。様々な奇縁によってなった出版であった。
こうして世に現れた『ソドム百二十日』は、サドが獄中で思索に思索を重ねた異常性愛の一大絵巻となっており、訳者の澁澤龍彦は「系統的に観察し分類した性倒錯現象の集大成、科学者の目でとらえた性病理学試論といった性格をおび、クラフト・エビングやフロイト以前の、貴重な資料ともなっている」と評している。
これは、牢獄に閉じ込められ、紙とペンすら満足に使えなかったマルキ・ド・サドが、空想によって旅した、完全無欠の魔道の世界の物語なのである。
……こうして、ここで挙げた「本で旅した人びと」を眺めて見ると、現実の世界では行きたい場所に行くことができなかった、という共通点がある。だが、行きたい場所に行けるなら本が必要ないか、というとそうではない。今は、お金と暇さえあれば、世界中の大抵の場所にはいくことができるが、本を通じてなら、それよりももっと遠い場所に行くことができるからだ。というのは、現実の世界では、遠い未来に行くことはできないし、過去の英雄に出会うこともできない。宇宙の果てや、人の心の奥底にある深淵にも、決して立つことは出来ない。これらは今のところ、本を通してしか、行くことができない場所にある。
「本で旅する」——。現実の世界で満足出来なくなった人にとって、いや、現実の世界に満足し切っている人なんてごくごく僅かだろうから、そういうほとんど全ての人にとって、「本で旅する」ことは、時には必要な、精神の休暇の過ごし方だと思うのである。
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