澁澤龍彦が説く、快楽主義のススメ。
本書は、澁澤龍彦の著書としては異端の本である。いや、異端だらけの澁澤の書いた本の中で、異端ではない、という意味で変わった本である。
というのも、本書は初め光文社の「カッパ・ブックス」から刊行された。これは、要するに大衆向けの新書シリーズである。このシリーズがきっかけとなって第一次新書ブームがわき起こったほど、ここからミリオンセラーがいくつも生まれた。
高踏、無頼で聞こえた澁澤龍彦が、こういう大衆的なシリーズで本を書くということ自体がかなり奇異なことである。澁澤がどうしてこういう大衆路線で本を書いたのかというと、自宅を新築するための金策であった、と本人が述懐している。
そんなわけで、著者としてはこの本はあまり好ましいものではなかったようだ。全集に収めてほしくないという意向もあったそうである(でも結果的には収録された)。澁澤のファンからすれば、あまりに軟らかい語り口に拍子抜けする部分もあるし、世の中のトレンドに迎合しているような書き方に落ち着かない気持ちにもなる。あの、耽美的な澁澤はどこへ行った? と感じよう。
しかし、その内容は決して大衆迎合ではない。著者の博覧強記は、いつものように縦横無尽に古今の挿話を開陳する。特に「快楽主義の巨人たち」の章は、ディオゲネス、李白、アレティノ、カサノヴァ…と古今の傑物たちを著者なりの視点でいきいきと紹介しており読み応えがある。
本書の内容としては、まず快楽主義とは何かを解説し、東洋と西洋の快楽主義を比較検討してひとまず西洋のエネルギッシュな快楽主義を中心的に取り上げながら、そうした究極の快楽主義が東洋的な禁欲主義に漸近していくという逆説を展開、そして力強い快楽主義的な生き方を勧めるものである。
ただし、本書が勧める快楽主義は、時代の方に追い越されていった。本書が初出した1965年といえば、60年安保があり、60年代後半からは全共闘運動や大学紛争が起こっていく時代で、若者は今から考えると真面目すぎるくらいであったが、その後のバブル景気を経ると、世の中は軽薄な快楽主義に覆われていった。著者が説く力強い快楽主義の勧めよりも時代はさらに先を行き、その場しのぎのお気楽な快楽主義が蔓延ってしまった。
そういうワケであるから、著者の主張は普遍的な内容をもちながらも、本としては、その前提となる時代背景が全く変わってしまったので、ちょっと古びた感じがするのは否めない。とはいっても、澁澤の本としては、非常に取っつきやすい部類に属するので、一種の「澁澤入門」として機能する本になっていると思う。
快楽主義の勧めは今となっては空回り気味だが、内容は充実した気軽な澁澤龍彦入門書。
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