本シリーズの副題は「アーネスト・サトウ日記抄」となっているが、単なる日記の抄訳ではない。サトウの日記が縦軸とすれば、それに同時代資料が横軸に組み合わされ、重層的に時代の雰囲気が感じられる体裁となっている。アーネスト・サトウの日記を中心として明治維新を追体験する叢書と呼べるだろう。
本書の白眉は、なんといっても西南戦争での挙兵に際しサトウを訪ねてきた西郷隆盛との一席である。明治10年2月11日、もうあと数日で進軍を開始するというその時、西郷は旧知のサトウを突然訪問した。その時の様子をサトウはこう記す。
「西郷には約二十名の護衛が付き添っていた。かれらは西郷の動きを注意深く監視していた。そのうちの四、五名は、西郷が入るなと命じたにもかかわらず、西郷に付いて家の中へ入ると主張してゆずらず、さらに二階に上がり、ウイリスの居間へ入るとまで言い張った」護衛たちは、他ならぬ西郷を監視していたのであった。西郷がこの外国人とどのような会話を交わすかを確認しなくてはならなかったのだろう。西郷はサトウとウイリス(鹿児島県に雇われていた外国人医師)に水入らずの状況で何か重要なことを語りたかったに違いない。それは護衛たちが家に入ることを西郷が制止したのを見ても明らかだ。しかし護衛は付いてきた。監視下に置かれた西郷は、サトウらへ伝えたかった何かを、遂に告げることはできなかった。結局、
「会話は取るに足らないものであった」そうサトウの日記には記されている。これが、サトウと西郷の最後の別れとなった。
このとき、西郷はサトウに何を語りたかったのだろうか。それは多分、西南戦争という望まない内戦で兵を率いることの内心だったに違いないと思う。挙兵の本当の理由、そして自分が残せる最後の言葉を伝えたかったのだと思う。鹿児島の大勢の士族に慕われながら、実のところ孤独で四面楚歌だった西郷が、数少ない心を許せる旧友へ別れの挨拶に来た、その瞬間がこの時だったのだろう。ツヴァイクなら『人類の星の時間』に編んだような、そんな別れの時だった。
これ以降のサトウの日記は、外交官というより文人のそれへとなっていく。混迷する日本の状況、敬愛する西郷の悲惨な運命、それらについて深く語ることはしない。それが、サトウなりの西郷への愛情だったのかもしれないと著者は言う。ありそうなことだ。
サトウと西郷の別れという劇的な瞬間が収められた貴重な本。
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