茶の近代貿易のありさまを通じて歴史のダイナミズムを感じる本。
本書はいわゆる「物が語る世界史」であり、茶という商材を題材にして近代西洋の資本主義(特に英国のそれ)の様子を描き出している。
第1部は、茶と西洋人との出会い。西洋人が茶に出会ったとき、それは緑茶であった。日本の茶の湯は深い精神性と芸術性に基づいており、単なる飲料ではない喫茶文化に魅了されたのだという。 西欧人が東洋に到達した頃は、まだ西洋の力が絶対的に優位にあるという自信はなかったし、むしろ東洋の豊かさ、歴史と文化に嫉妬している部分すらあった。
そこで、茶の文化は進んだ文化として西洋に移入されることになる。しかし緑茶は西欧の食文化との相性が悪かったためか、緑茶であってもミルクや砂糖を入れて飲まれていたし、次第に紅茶へとその重心が移っていく。
その重心移動と並行にして、生産力の増大を背景に西洋の(東洋に対する)絶対的優位性が揺るがないものになってくると、茶は進んだ文化などではなく、単なる消費財になっていく。そしてそれが大衆に茶を飲む習慣を浸透させることにもなり、より消費量も増加していった。こうして茶(特に紅茶)は西欧諸国(特にイギリス)になくてはならないものとなり、茶を手に入れるために歴史が動いていくのである。
第2部は、その茶の輸出入の動向に対し日本がどのように動いたか。かつて日本の輸出品は第1に生糸、第2に茶であり、茶は主要輸出品であった。しかし世界の消費動向が次第に紅茶へと移っていく中で、日本も紅茶製造の取り組みはしたけれども、基本的には緑茶の販売をし続けた。もちろんこれは世界の動向に沿わないものであったために次第に茶の輸入は低減していく。
なぜ世界の動向に沿わない輸出を続けたのか、ということに関して、本書では外交文書等を引いて具体的にその情報収集能力のなさを指摘しているが、今も当時も変わらない、日本人の「世界的な空気を読めない」感が多分に出ていて暗鬱な気持ちになった。だがその背景にはもちろん日本にとって茶が重要な生産品ではなくなり、徐々に工業国家として立ち上がってくるということがあるわけなので、これは歴史の必然でもあったろう。
ところで本書は少し看板に偽りありで、「世界史」を銘打っている割には西洋近代史しか取り扱っていない。茶と世界史と言えば、例えば中国の「茶馬貿易」も重要かつ面白いトピックであるし、この内容を「世界史」と言い切るのは少し弱い感じがした。
しかしその内容は具体的な資料に基づいて考証を行っていて堅実であり、端正で読みやすくまとめられている。それこそお茶でも飲みながら読みたいような手軽で知的な本。
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