本書は、東京の扇子の店「荒井文扇堂」の主人・荒井 修 氏の話をいとうせいこう氏が聞いたものの記録である。対話ではなく、荒井氏の話がまとめられており、章末にいとうせいこう氏のコメントが付されるというスタイルになっている。
荒井氏の話は、基本的には江戸時代から続く伝統的な扇子のデザインについてのものだが、荒井氏自身のデザイン哲学もそこに差し挟まれるため、純粋な「江戸のセンス」を述べたものではない。ただ、幼いころから古典文芸に親しんでいたらしき氏の口ぶりは、「江戸の職人ってこんな感じだったのかも」と思わせるに十分である。
私は、「江戸時代のデザインってどういうものだったのだろう」という疑問から本書を手に取ったが、上述のとおり本書は江戸時代のデザインについて歴史的に語るものではないので、本書を読みながら考えたことを中心に読書メモを書くこととする。
「のぞき」という技法がある。全部を描かず一部を象徴的に表現し、大きく余白を残すのが「のぞき」である。例えば、秋の夜の情景を表現するのに、大きく月を描いて、ススキを一本それに重ねる。もちろん月は全部書くのではなく、画面からはみ出す。こういうのが「のぞき」である。
「見立て」という技法がある。物や人物や風景をそのまま描くのではなく、別のものをそれに「見立て」て、象徴的に表現する技法である。「のぞき」も「見立て」も、全部描かない、説明的にしないという共通点がある。つまり、江戸時代には「説明的なのは野暮」という感覚があったようだ。
「のぞき」にしろ「見立て」にしろ、説明的でないのだから、何が描かれているか、意匠の意図はなんであるかを鑑賞者の方が読み解く必要がある。それは単純に花鳥風月が描かれているだけでなく、古典文芸に関する知識を必要とした。と書くと、当時の人は教養人ばかりだったと思いがちではそういうことではない。
例えば人物とともに「ゴゴゴゴゴゴ」と書いたら、若い(概ね40代以下の)人はこれは『ジョジョの奇妙な冒険』が踏まえられていることはすぐわかると思うし、これにわざわざ「※これは『ジョジョの奇妙な冒険』に出てくる擬態語です」などと書いていたら野暮にもほどがあると思うだろう。これと同様に、江戸時代の人は教養人ばかりだったのではなく、人々の間に広く共通の知識が存在し、それを自在に呼び出したりアレンジしたりすることに面白さを感じていた。それは現在の二次創作市場と似たようなものだったのだろう。
江戸時代のデザイン界と現在の二次創作市場には、別の面でも類似がある。それは著作権の扱いである。現在の二次創作市場は、厳密に言えば著作権的にアウトであるが、出版社や原作者が黙認することによって成り立っている。我々は比較的自由に(商業的にならない範囲で)「ゴゴゴゴゴゴ」と書いてジョジョ風の人物を登場させてもよいことになっている。江戸時代の著作権の考え方はこれに似ていた。つまり、版権は確かに存在していたが、デザインそのものを保護する知的財産権の仕組みはなかった。
なので、著作物の複製そのものはできなかったのだが(正確に言えば法律で規制されていたのではなく版元が禁じていた)、そこに表現されたものは比較的自由にコピーできた。こういう、知的財産権の保護が不完全な市場で何が起こるかは興味深い問題である。まず第1に、優れたデザインはすぐに広まった。そして第2に、人々はそれをアレンジすることを楽しんだ。容易にコピーできるからこそ、それを変化させることが主眼になったのである。江戸のデザイン界では、現在の二次創作市場と同じことが起こっていた。
この2点が、現在の商業デザインと決定的に違うところであり、江戸のデザインの多様性の鍵であるような気がする。
そしてもう一つ違うのは、現在の商業デザインは、万人受けする、どんな人にも場面にも合うものを作りたがるが、江戸時代はそこが少し違った。もちろん江戸時代にもシンプルなデザインは存在したが、けっこうドギツいデザインも多かった。それは、江戸時代が大量生産の時代でないことと関係がある。江戸時代のモノは手作りで、注文生産である場合も多かった。だから、万人受けする必要がなく、むしろ注文者の趣味趣向や、使う場面に適したものが好ましかった。そしてそれは、上級に洗練されたものというより、「遊び」がある面白いものが好まれた。何しろ顧客は、しかつめらしい武士ではなくて、遊びに生きた商人だったのである。このあたりも、現在の二次創作市場と似ている。
ところで、デザインというと、家具や日用雑貨のデザインから平面デザインまで含まれるが、本書で対象としているのは、モノにあしらわれる図案のことが中心になっている。当然、その多くは荒井氏の専門である扇であるが、それ以外の話も少しは出ている。そういうものを見ていて思うのが、「江戸時代は、よくこんな不整形な画面に絵をあしらおうと思ったな」ということである。
そもそも、扇からして図案を乗せるのは不向きだ。蛇腹に折られているし、そうでなくても扇形は図案を乗せる画面としてやりづらそうだ。ところが、江戸時代のデザイナーたちは、むしろ長細い画面や不整形な画面にこそ図案を乗せやすかったのではないかとさえ思える。現在の画用紙のようなアスペクト比になっている作品は浮世絵などわずかで、図案の多数はむしろ極端なアスペクト比を好んだのではないか。
というのは、日本の工芸では歴史的に、掛け軸(縦長)、屏風(縦長)、巻物(横長)など、縦長または横長の料紙に描く図案が発達していたからである。そしてこうした長細い(あるいは不整形な)画面であればこそ、「のぞき」や「見立て」のような技法が発達したといえる。西洋絵画のように正方形に近い長方形画面が中心であったら、モノの一部だけ描くのはかえって難しくなるからだ。
このように、江戸時代のデザインは、その市場の在り方と深くかかわっていたと思う。本書には、そうした視点はあまりなく、どちらかというと荒井氏の個人的な経験や創作活動が中心になっていて、それはそれで生き生きした内容なので面白いが、歴史家がそれを解説すればさらに面白いものになったのではないだろうか。
扇子屋の主人の生き生きした話を聞ける本。
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