2023年5月11日木曜日

『幕末維新史への招待』町田 明広 編

幕末維新研究のガイド本。

私は、結構幕末維新に関する本を読んできた方だが、この本はもっと早く読みたかった。本書は、司馬遼太郎の小説などで広まった間違った過去の通説を批判しつつ、最新の実証研究に準拠した参考書を手際よく紹介してくれている。本書を幕末維新研究の入り口として、紹介されている10冊くらいを読めば、研究の最前線を理解することができると思う。

一方、本書は小説や教科書を通じてある程度幕末維新史を知っている人を対象にしているので、「幕末維新ってあまりよく知らないな」という人が読んだら、さっぱりわからない部分がある。なにしろ維新史の通史は全く述べられていない。そういう意味では、「幕末維新史研究への招待」という標題にした方が適切だったかもしれない。

本書では論点ごとに21の章(序章・19章・終章)が設けられているが、その簡単な紹介は以下の通り(章題は割愛した)。

(1)「尊王攘夷」vs「公武合体」の構図は当を得ていない。坂本龍馬は実際より過大評価されている。薩摩藩研究は平成以降、はるかに深化した。(町田明広)

(2)幕末は、かつては階級闘争史観で国内的な事情から捉えられたこともあったが、現在はペリー来航など対外的・国際的要因の方が重視されてその起点が設定されることが多い。(森田朋子)

(3)幕末の日本は「鎖国」しておらず「鎖国令」も存在しない。また4つの口(対馬口、薩摩口、長崎口、松前口)による貿易・国際交流が行われていた(荒野泰典)。よって「海禁」と呼ぶべきである。(大島明秀)

(4)「尊王」と「佐幕」は対立軸ではなく、幕府も尊王だった。また、尊王に幕府を否定する意味は皆無であった。尊皇は攘夷とセットになって政治的主張としての効力を有するようになった。(奈良勝司)

(5)幕末の社会は、コレラの流行、頻発する大地震、ハイパーインフレと打ち壊しなどの世直し騒動など、政治的変動とは別の面で庶民の世界も動揺していた。(須田 努)

(6)朝廷は財政的には幕府に依存し、幕府も朝廷にはなるだけ予算を割いていた。文久3年、幕府は朝廷との関係強化のため、朝廷の財政の枠組みを大きく拡張させて増額させた。(佐藤雄介)

(7)幕末期に外藩とされた国持大名は、他の大名とは違い、幕府とは距離があった。しかし幕末には譜代大名だけでは国政が動かなくなり、挙国一致体制の中で幕府は彼らに依存するようになった。(藤田英昭)

(8)一橋慶喜・会津藩・桑名藩が結合し、幕府と孝明天皇とが協調して政権が運営された様態が「一会桑」である。一会桑を「政権」と見なすか「権力」「勢力」と見なすかはまだ定説はなく、今後の研究の進展が期待される。(篠﨑佑太)

(9)幕末、薩摩藩では財政改革が行われた。500万両もの莫大な借金を一方的に250年払いに変更し、砂糖の専売や貿易の振興、偽金づくりによって財政は好転。薩摩藩の雄飛の基盤となった。(福元啓介)

(10)幕末の長州藩では、近代的海軍の萌芽のような軍事体制を構築し、対外的な脅威を背景に富国強兵策も構想された。これらは周布政之助を首班とする藩制改革派が主導した。(山田裕輝)

(11)列強によって日本が植民地化される危険は少なかったとする見解もあるが、イギリスは自由貿易体制を維持するためには軍事力の行使を想定しており、危険がなかったわけではない。(田口由香)

(12)日米修好通商条約の締結にあたって幕府は朝廷からの勅許を求めたが、それは全国的な合意形成の手法が確立していなかったために天皇の権威に頼ったという面がある。勅許問題は列強諸国が朝廷を政権のキーと見なすきっかけにもなった。(後藤敦史)

(13)平野国臣が討幕を唱えたのと同じ頃、将軍の側近の大久保忠寛(一翁)は、徳川家も一諸侯に下るべきだという大政奉還論を唱えた。土佐の後藤象二郎は、坂本龍馬からこの大政奉還論を聞き、それが土佐の藩論となった。(友田昌宏)

(14)長州藩の奇兵隊は、旧来の身分秩序にとらわれないものだったが、それはあくまで「奇」だった。大村益次郎は長州の軍隊を近代化し、装備の標準化や士官教育のカリキュラム確立、西洋式武備の充実などに取り組んだ。だが、「国民」が創出されていない中での軍制の近代化には限界があった。(竹本知行)

(15)江戸幕府が創設した海軍は、士官任用が家格ではなく能力が基準になるなど能力本位の人事制度、一元的な指揮系統の確立、近代海軍教育制度の開始など画期的なものだった。また幕府は蒸気船を何隻も座礁などで沈めた経験を踏まえた軍艦運用ノウハウもあった。明治政府の海軍は幕府海軍の「居抜き」でスタートすることができ、比較的短期間で確立できた。(金澤裕之)

(16)いわゆる「薩長同盟」とされている盟約は、長州藩がことを起こした場合に薩摩藩が中立を表明したもので軍事同盟とは言えず、「小松・木戸覚書」と呼称するのが適切。坂本龍馬はこれを周旋しておらず、会議後に証人となったにすぎない。盟約をきっかけにして薩長の関係が緊密化した。(町田明広)

(17)徳川慶喜の大政奉還は、幕藩体制の限界を認め、来るべき朝廷を中心とする公議政体で自らが中心的な地位を占めるために行われたものと考えられる。(久住真也)

(18)戊辰戦争を民衆が支持したかどうかの二分論は過去のものとなり、「それぞれの戊辰戦争」を解明することが研究の潮流となっている。(宮間純一)

(19)公家も幕末の動乱に参加し、維新政府では当初要職を占めたが次第に遠ざけられ、廃藩置県を経て中枢から排除された。その後、宮内省が公家の活躍の場となった。

(20)明治政府といえば藩閥・有司専制というイメージがあるが、当初の政府は「公議」を重視して公議機関を設け、明治2年には官吏公選を行い、旧幕臣も登用するなど、必ずしも藩閥だけでない政権運営が行われていたことが薩長の強さだった。(久保田哲)

(21)明治維新は、マルクス主義史観からの評価、無血革命としての評価(司馬史観)、などイデオロギー的に評価されてきたが、実証研究の進展、ローカルとグローバル双方の研究の積み重ねによって近年ではより多角的に捉えられるようになった。(清水唯一朗)

全体として、図が割と多いこと、主要参考文献+関連書籍が章ごとに紹介されること、著者の考察は極力少なくして研究の全体像を示そうとしていることなど、大学の講義に雰囲気が近く、筑摩新書の「○○史講義」のシリーズに似ていると思った。

特に興味深かったのは、(13)の大久保一翁の大政奉還論、(15)の幕府海軍についてである。

幕末維新史研究の最前線へ誘う良書。

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