バッハを「音楽の父」と呼ぶことがある。しかし近代西洋音楽の父は間違いなくベートーヴェンの方である。ベートーヴェンは、西洋音楽の歴史を転回させたといっても過言ではない。それまでの古典派音楽と比べると、ベートーヴェンの音楽の響きは恐ろしく現代的だ。ところが驚くべきことに、この独創的な音楽を作った男は、名をなしてからも過去の音楽を学び続けており、実は伝統的な書法に基づいて曲を作っていたのである。
ベートーヴェンが生きていた頃は、まだバッハが再評価される前だったし、ヘンデルですらも「メサイア」以外はさほど演奏されていない(ヘンデルの全集が出たのはベートーヴェンの晩年だった)。ベートーヴェンは、いわば「自然体」ではそうした古い音楽を利用することはできなかったのである。彼は積極的に、わずかな機会を捉えてバロック時代の音楽の楽譜を手に入れていた。
本書では様々な証拠から、ベートーヴェンが入手していた楽譜、聞いていたはずのバロック音楽を推測・整理している。それは、現代の目からは非常に限られたものであると感じる。バッハについては、『平均律クラヴィーア曲集』以外若い頃のベートーヴェンはほとんど知らなかった。1801年から『バッハ作品全集』がホフマイスター社により刊行され、ベートーヴェンはこれを手に入れたらしいが遺産目録にはこの楽譜は完全には残されていない。
ところがこの限られた環境で、ベートーヴェンはバロック音楽を非常に熱心に研究した。楽譜の一部をスケッチ張に書き写し、自作のアイデアに活かしたのである。それはほぼ対位法的なものに限られ、フーガが探求された。バッハの『平均律クラヴィーア曲集』でもフーガは何曲も書き写されているのに、プレリュードは一曲もそこに登場していない。なおベートーヴェンは若い頃からバロック音楽に関心があったらしいが、特に集中的に楽譜を書き写して研究したのは1817年頃である。47歳ほどの頃ということになる。既に名声と作曲スタイルが確立してからこうした研究を行っていることは特筆すべきことだ。
その研究の結果生まれたのが、<ハンマークラヴィーアソナタ>作品106のフィナーレのフーガである。この「非常に斬新に響くこの楽章は、しかし「技法」として見るならば、伝統的なフーガの技法をほぼ網羅的に使用している。とりわけ逆行形は、理論書には説明されていても、実際に作品に用いられるのは珍しい(p.118)」 と述べられ、本書では詳細に分析されている。このソナタは傑作であるばかりでなく、「ピアノ・ソナタの歴史の転換期をなす(p.120)」ものとなった。
さらにこのフーガ書法は、<大フーガ>作品133、<弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調>作品131などで活かされているが、これらについての紹介は簡略である。<大フーガ>については有名な作品でもあり、もう少し丁寧に解説してもらえたらありがたかった。
一方、ヘンデルからの影響については、 <「ユダス・マカベウス」の主題による12の変奏曲>WoO45が取り上げられ、ヘンデルの音楽をいかにベートーヴェンがアレンジしたかという視点で考察されている。また当時からヘンデル風とされた<自作主題による32の変奏曲>WoO80と<献堂式>序曲作品124についてそのヘンデル的特徴を分析している。
さらに分析は晩年の大作<ディアベッリ変奏曲>作品120へ進む。この有名な変奏曲で、ベートーヴェンははじめの方では近過去の音楽の書法を用い、終盤にはバロック音楽的な変奏曲となっていく。特に終わりの第32変奏はヘンデル的な長大なフーガとなる。この第32変奏の何が「ヘンデル的」なのかの解説は大変参考になった。
そしてベートーヴェン自身が最高傑作と位置づけていた<ミサ・ソレムニス>作品123。その<クレド>は壮麗な二重フーガで書かれ、バッハやヘンデルに比肩するものとなった。この作曲にあたり、ベートーヴェンはバッハの<ロ短調ミサ曲>を知っていたかどうかは論争となっているが、状況証拠を総合してみると「曲の存在自体は知っており、楽譜の一部も見たことがあったかもしれないが楽譜自体は持っていなかった」というところらしい。むしろベートーヴェンは<ミサ・ソレムニス>作曲後に<ロ短調ミサ曲>への関心が高まったようである。
さらに晩年、ベートーヴェンはヘンデルの様式でオラトリオ<サウル>を作曲しようとした。当時のウィーンではヘンデルのオラトリオ人気には陰りが見えていたが、オラトリオ自体は非常に重要な形式であり、折よくオラトリオ作曲の委嘱を受けたベートーヴェンはかなりのこだわりでこれに向き合ったようである。しかし具体的な作曲作業に入らないうちにベートーヴェンは死去してしまった。
ちなみにバッハについては、ベートーヴェンはいわゆる「B-A-C-Hモティーフ」を使って生涯に何度もバッハを顕彰する作品を作ろうとした。 フーガや序曲の構想がスケッチ帳に残されている。これらは結局完成させられることはなかったが、もしベートーヴェンが「バッハ序曲」を完成させていたら、その後のバッハ受容史は変わったものになっていたかもしれない。
本書ではこれらの他、コラムとして「バロック音楽を愛したパトロンたち」と題してべートーヴェンのパトロンが取り上げられている。具体的には(1)ヴァン・スヴィーテン男爵、(2)ルドルフ大公、(3)リヒノフスキー侯爵、の3人である。
ルドルフ大公はベートーヴェンの唯一の作曲の弟子であり、ルドルフ大公が対位法書法に関心を抱いていたことがベートーヴェンの作曲活動にも影響を与えていたかもしれない。リヒノフスキー侯爵はライプツィヒ大学で学んでおり、最初のバッハ伝を編んだフォルケルとも親しかった。1796年、ベートーヴェンはリヒノフスキー侯爵とライプツィヒやベルリンを巡る旅をしており、その詳細は不明ながらバッハとベートーヴェンを繋ぐ一つの要素であったと考えられる(ちなみに1789年、モーツァルトもリヒノフスキー侯爵と同様の旅をして、ベルリンで印象深いバッハ体験をした)。
なおコラムには取り上げられていないが、ラファエル・ゲオルグ・キーゼヴェターという人物にも興味を持った。彼は古い音楽に興味を持ち、多くの楽譜を蒐集。1816〜38年にかけて定期的に「歴史演奏会」を開催した。そこではバッハやヘンデルが取り上げられ、「この時期のバロック音楽、あるいはさらに古いルネサンス
音楽についてのキーパーソンであり、ヴァン・スヴィーテン男爵亡きウィーンでは、貴重な存在であった(p.209)」という。
本書は、著者が東京藝術大学に提出した博士論文を元にしたものだが、とても読みやすく平易にまとまっている。ただし基礎的な楽典の知識を有していた方が理解はしやすい。とはいえ楽譜はいくらか挙げられているものの、楽典的説明を読み飛ばしても論旨の理解には問題ないと思われる。
ベートーヴェンとバロック音楽についての繋がりを丁寧に解きほぐした良書。
【関連書籍の読書メモ】
『ベートーヴェンの生涯』青木 やよひ 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2020/11/blog-post_23.html
実証的な資料によって構成したベートーヴェンの伝記。偉大な音楽家の真実の姿を平易に述べる、ベートーヴェン伝の新しい基本。
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