2021年5月14日金曜日

『孫子』貝塚 茂樹 訳 (『世界古典文学全集 19 諸子百家』所収)

孫子の思想。

本編は『孫子』の全訳である。『孫子』は思想書ではない。あくまで兵学書である。火攻めにする時はどうするかとか、どのような地形で攻めるべきか、退却するべきか、といったような戦いの細かい話もある。

ところが、諸子百家の様々な思想を読んでから『孫子』を読むと、これが紛れもなく新しい時代の「思想」のように感じられるのである。

その新しさは、第1に説明が論理的で全く故事に頼っていないことである。儒家はもちろん諸子百家の全てが、何かを説明する時は必ず故事(歴史)を持ち出す。歴史はあまり参考にならないと考えているらしき『韓非子』でさえも、やはり故事を踏まえて自らの主張をしている。しかし孫子は故事など全く使わない。歴史に疎かったのでなければ、自らの理論によほど自信があったのだと思う。そして故事に頼らず論理のみによって説明するため、文章が非常に簡明である。

第2に、観念論や名分論を廃した、実証・現実に立脚する態度である。例えば「戦争の原理から考えて将軍が勝てないと判断したならば、君主がぜひ戦えといっても、戦わないほうがいいのである」というような言葉は当時の言論の中では衝撃的である。「君主を諫めた方がいい」ならばあるが、将軍の判断で勝手に君主に背いてもよいというのは他の諸子百家の思想には存在しない。『韓非子』であれば、君主に背くなどそれだけで死刑になる。では『孫子』ではなぜこういうことを言うか。それは単純で「そのことがまた君主にも利益になる。そういうことができる将軍はじっさい国家の宝ということができるであろう」からだ。負け戦はしない方がいいに決まっている。君主がいくら戦争をしたくてもだ。そういう当たり前の価値判断をするところが『孫子』が革命的に新しい点である。

第3に、具体的な戦争の仕方を述べているにもかからず、言葉が妙に(?)普遍的であり、いろいろな応用が利く記載が多いことである。「たたかいは国の大事[…]であるから、事前によくよく調査が必要である」「戦争上手も、敵に敗けない態度をつくることはできるが、敵をして敗かされる態勢をとらせることはできない(常に負けないことはできるが必ず勝つということは不可能)」といったようなことは、非常に応用力が大きな言葉だと思う。そうであるのも、『孫子』の表現が本質をズバッと突いるからだ。『孫子』のいうことは、ある意味では当たり前のことばかりであるが、それを素直に表すところが新しい。つまり『孫子』の新しさは思想よりも、その「態度」にあると言える。

古来、孫子が最高の兵法書とされたのも納得である。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿