2020年12月10日木曜日

『王法と仏法—中世史の構図』黒田 俊雄 著

仏教をキーにして中世社会を考察する論文集。

黒田俊雄は、「顕密体制論」によって中世(鎌倉・室町時代)の仏教の見方を一変させた。約50年前の話である。

鎌倉時代といえば、親鸞や一遍、日蓮や栄西といった「鎌倉仏教」の時代であると誰もが思っていた。ところが同時代資料を繙いてみれば、「鎌倉仏教」はあまり社会的影響力を持っていなかった。むしろ、天台宗と真言宗、そして荒廃していたとはいえ南都諸宗といった旧仏教=「顕密仏教」が国家と癒着して強大な権力を持ち、政治権力とは異なる原理の権門として機能していたことが明らかになった。これが「顕密体制論」の乱暴な要約である。本書は、この考えから書かれた論文をまとめたものであり、黒田史学のエッセンスに触れることができる本である。

以下、気になった論文についてメモする。

「王法と仏法」:中世より前の、平安時代の仏教は「鎮護国家」のための国家の下部機関的な意味合いが強い。ところが中世になると、仏教は独自の立場を築き、「王法と仏法は車の両輪である」というような「王法仏法相依論」が仏教側から盛んに言われるようになった。確かに顕密仏教は国家と癒着はしていたが、王法と仏法を同列に並べられるようになったところに、中世の仏教が獲得した力が象徴的に現れている。

 「日本宗教史上の「神道」」:近世以前には自立した宗教としての「神道」は存在しなかったことの論証。『日本書紀』にも既に「神道」の語は見えるが、それは「道教」を意味していたのではないかという指摘が面白い。その他、著者は時代毎の「神道」という語の用例を検討して、近世以前の「神道」は独立した宗教を意味していなかったことを示している。「神道」が仏教と対置される「日本の民族的宗教の名称」の意味が確立したのは、林羅山その他による「儒家神道」以降だという。

「「院政期」の表象」:院政期をどう見るか。院政期は、古い秩序が崩壊して新しい秩序へと移行するまでの混乱期であったのか、それともそれ自体が清新なエネルギーに満ちた躍動の時代であったのか。著者はいくつかの立場を比較検討して、公家・武家・大寺院などの権門が並立して一つの秩序をつくっていた多彩な時代であると結論づけている。政治権力の在り方があまりにもややこしく、これまで避けていた院政期について興味を持った。

「歴史への悪党の登場」:14世紀は「悪党の世紀」であった。悪党は既存の社会秩序からはみ出し、反権威的で、自由であるが地に根を下ろしたふてぶてしさがあった。著者は悪党を社会変動の申し子と見て、「悪党のやったことは(中略)いちがいに称讃できるようなものではない」としながらも、その存在を最大限に評価する。それは、古代以来の諸権威に抑圧されていた人びとの精神を解放する触媒となったのである。「悪党は、正義や愛や清潔や真理を掲げたのではなくむしろそれにどんでん返しをくらわせ」た。時代も場所も違うが、フランスのフランソワ・ヴィヨンが思い起こされる。

「中世における武勇と安穏」:中世は長く続く合戦の時代であったが、だからこそ人びとは平穏な暮らしを希求した。「安穏こそがこの世における至高・無上・究極の価値」だった。古代仏教が「欣求浄土」であるならば、中世仏教は「現世安穏、後生善処」に帰結する。生き残るために武勇を必要とすることは宿業と感ぜられ、武士たちが仏教を熱烈に必要とした。しかし農民を中心とする大多数の人びとは、平穏な暮らしを築こうとする活発な動きがみなぎっていたのであり、一揆もそういう視点から捉え直すことが必要である。

本書には、これら雑駁な論文が収められており、「黒田史学」のエッセンスとはいえ(というかエッセンスだからこそ)全体像が若干見えにくい。しかし、平雅行による巻末の解説「黒田俊雄氏と顕密体制論」が非常に明快で、参考になった。黒田史学を「武士中心史観からの脱却」と位置づけ、歴史学への貢献や今に残された課題をまとめて、さらに本書所収の論文について簡潔に紹介している。

やや専門的だが、今なお日本中世の社会の見方を再考させる力を持った論文集。

【関連書籍の読書メモ】
『寺社勢力—もう一つの中世社会』黒田 俊雄 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2019/09/blog-post_13.html

中世における寺社勢力の勃興と衰退を述べる。中世の申し子とも言える寺社勢力を通じて当時の社会の内実を考えさせる良書。

 

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