2020年11月4日水曜日

『墨子』森 三樹三郎 訳(『世界古典文学全集 19 諸子百家』所収)

墨子の主要著作。

中国の春秋戦国時代(紀元前5世紀の前後200年くらい)、諸子百家と呼ばれる様々な思想家・学派が現れた。彼らは現代でいう思想家ではなく、戦国の世で他国よりも富国強兵を実現させるための政策コンサルタントのような存在であり、諸国を遍歴してその政策を説いた。

今では失われてしまった思想も含め、多くの主義主張が競ったが、その中でもまとまった集団をなしていたのは、儒家と墨家だけだったそうだ。この両者は個人のコンサルではなく、多くの弟子を諸国に派遣するシンクタンクのような存在であったといえる。

しかし、その後の中国の歴史に甚大な影響を与えた儒家とは違い、墨家たちは秦漢の統一時代に入ると雲散霧消してしまい、その思想は後代に伝わることがなかった。それどころか墨子の著作はほとんど無視され、清朝末に至る2000年の間、忘れられるという「絶学」の悲運を味わったのである。

このような次第であるから、墨子の著作は完全な形では伝わっていない上、本文の混乱が激しく、難読中の難読の書とされてきた。また後代の人が追加した部分を含み、墨子の伝記的事実も明らかでない。本書は、墨子元来の著作と見られる部分を中心として主要な諸編を日本語訳したものである(原文は省略されている)。

ではその思想はいかなるものであったか。墨子の原思想を表していると見られる本書所収の諸編のタイトルから、その枢要な内容をメモしてみよう。

尚賢:政治の根本は、義を貴ぶ賢者を任用することである。それには身分の高下は関係ない。(当時において身分制を否定したことは革命的な意味がある。)

尚同:天子の政治は、天下の人々の考えを同一化しなくてはならない。そのためには国や郷里は統一的な考えで信賞必罰を行うべきである。(今から見ると全体主義的な部分を含むが、むしろ民約論に近い内容である。要するに、君主独裁ではなくて人々の考えを君主に帰一させなくてはならないと墨子は言う。)

兼愛:天下の人々が全て愛し合わなければ、強者が弱者を、富者が貧者を、貴人は賤人を食い物にするに決まっており、もしそうなれば社会全体の利益が失われるのだから、博愛の精神で愛し合い、互いの利益を図るべきである。これは非常に難しいことのように思うかもしれないが、例えば戦の時に死の危険を犯して攻め込むようなことに比べてずっと易しいことだ。(墨子は当時のインテリとしては例外的に天帝や鬼神の存在を信じており、それが墨子の思想の根本をなしている。しかしながら兼愛という博愛思想は、キリスト教のそれのような宗教的な価値ではなく、実利面から説かれていることが著しい特徴であり、また意外な部分である。)

非攻: 戦争では仮に勝ったとしても利益は少なく、損失は多いのだから、侵略戦争は行なってはならない。攻戦して滅びた国がたくさんあるという事実を見てもそれは明らかだ。(兼愛の思想から非攻が導かれるのではなく、実利的な理由で侵略戦争が否定されているのが特徴。)

節用:実用的なもの以外は作るべきではない。国が無用な奢侈品ばかり作って民の生活に役立つものを閑却しているから国が富み栄えないのである。(国家財政のあり方を述べたもので、有用な事業のみに税金を使うようにという意味である。)

節葬:葬式を豪華にしたり、長い間(儒家によれば最長3年)喪に服するのは無意味なのでやめるべきだ。(当時の庶民には葬礼のため破産するものがいたり、王公の場合は多数の殉死者を出したりしたからそれを否定したもの。葬礼をになった儒家への対抗の意味もあったのかもしれない。しかし祖先祭祀を重んじる中国では、「節葬」は墨家への最大の非難の的となった)

天志:天の摂理(天志)に従わなくてはならない。天は、君主が善政を行い、民衆が仕事に務め、強者が弱者を助け、平和に暮らすことを求めている。これに適う行いをするのが天の摂理である。(墨子は天志を義の根本原理に据えているが、その内容はやや恣意的なもののように思われる。)

明鬼:鬼神、天神は実在する。歴史を紐解けば、古代の聖王たちはみな鬼神を信じ、実在するものとして行動しており、その存在は明白である。いつでも鬼神が我々の行動を監視しているのだから、誰も見ていない場所でも行いは正しくせねばならない。(諸子百家で有神論を主張したのは墨子のみである。鬼神の存在は墨子の思想の核心であった。)

非楽:音楽を奏することは君主にとって無駄な奢侈である。(墨子は音楽の楽しさ、美しさは否定していない。当時は壮麗な音楽を奏でることが重要な政務のごとく行われ、特に儒家が音楽を政治・道徳を高める手段としていたことが背景にある。しかしそれだけに墨子の「非楽」は非難された。)

非命:運命、宿命といったものは存在しない。運命論を信じてしまうと、努力が無意味となり、正しい行いをしなくなる。過去の聖王も運命論は否定している。未来は自分の行いによって変えられるのである。(「天志」と「非命」は内容的に近い。ただし、墨子の考える鬼神(天)は、行いによってすぐさま応えてくれるようなものではなく、大局的な動きを左右する存在のようである。この性格から、例えば「不幸のうちに死んだ義人」がいるからといって鬼神の存在は否定されない。)

以上、簡単に墨子の思想をまとめてみた。全体を通じて特徴的なことは、鬼神の存在を主張したり天志を根本としたりしている割には、実利を非常に重視して立論していることである。これは功利主義的といってもいいであろう。兼愛や非攻といった墨子の中心思想は、ベンサム的な「最大多数の最大幸福」の原理から導かれるものだったのである。

実利を基準に考えているため、墨子においては「義」の内容が儒家に比べてずっと具体的である。全体(マクロ)に利をもたらすのが墨子にとっての「義」なのである。今の言葉でいえば「公共の福祉」を基準に政策論を考えたのが墨子だといえる。

しかしながら、墨子は様々な主張において過去の聖王(堯舜禹湯)の行いを根拠としている。この点は対立していた儒家と同じである。運命論の否定であったり、鬼神の存在といったようなことで過去の聖王を持ち出してきたのは、実利では説明のつかないことだったからなのだろう。このことは、墨子の論理体系が完全には首尾一貫していなかったことを示唆する。墨子の思想には、実利と鬼神とが奇妙に同居していた。彼の学派は宗教の教団のようなものであったらしいが、それが戦国時代において儒家と並ぶ勢力となった一因でもあり、また滅びてしまった一因でもあるのだろう。

古代に「有神論的功利主義」を説いた独創的思想家の書。

 

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