外国人が残した記録によって辿る、徳川期の日本の残照。
著者は、日本のかつての姿を探るため、幕末から明治にかけて来日した外国人が残した記録を丹念に紐解いていく。当時の社会がどうだったか、ということは意外と日本人自身の記録ではわからない。当たり前の日常についてはわざわざ記録しようと思わないものだからだ。だから社会の姿は、その外部からの目によって新鮮に記録される。当時来日した外国人たちは、西洋とは違う意味で発展した日本の「文明」に目を見張ったのであった。
そこにあったのは、天真爛漫で幸せそうな親切な人々、地味ではあるが手の込んだ意匠の道具、清潔で植物に彩られた気持ちのよい街や村、形式的な階級はあるがうまく棲み分けられ、悲惨な貧困や抑圧が存在しない平等な社会、有能で自尊心があり男性と対等にやりあう美しい女性たち、のびのびと育てられ可愛がられている子ども、弱いものへのいたわりと他者への礼節、つまり子どもっぽくもありながら同時に洗練されてもいた人間の姿であった。そこには、近代西洋が捨ててきた、産業革命以前の古き良き社会が西洋と違った形で存在していたのである。
こういった社会の残映は、現代の日本にもある面では受け継がれているが、その多くは既に無くなっている。明治時代、日本は大急ぎでその姿を改造しなくてはならなかった。少なくとも、この国のリーダーたちは、国の姿をまるっきり変えてしまわなくては国際社会で生き残っていけないと考えた。そして、前時代的なるものを全て遅れたもの、悪いものと断罪して旧文明を破壊していった。
そうした旧文明の破壊を、当時日本を訪れ、その美しさに感動した外国人たちは惜しんだ。この夢のようなおとぎの国が、自分たちの祖国と同じつまらない工業国になっていく未来が見えたのである。一方我々は、旧文明が遅れたものだとする見解を鵜呑みし、江戸時代といえば無知と蒙昧、酷い不平等、貧困と不潔、混乱と飢餓の時代だと思わされてきた。一面、それも事実である。本書には出てこないが、江戸時代には子どもの間引きがあり、貧困や飢餓が存在しなかったというわけにはいかない。しかし総じて、260年間続いた穏やかな社会は、まどろむような平衡に到達していたということも間違いないのである。
ところで本書を読みながら、私の頭に浮かんだのはブータンのことである。ブータンには幕末の日本と少し似ているところがある。周囲の国家と距離を置き、未だ工業化されない素朴な社会。ブータンには確かに幸せで呑気な人々が生きている。たぶん、明治の日本はこんな感じだったのだろうと思う。
しかし、実はブータンの上流階級は、そうした人々のことを内心苦々しく思っている。時間を守らない労働者、約束を平気で反故にする人たち、契約よりもしきたりを守ろうとする慣習…。そうした古い社会を捨て去らない限り、ブータンの近代化はありえないと。
当時の日本もそうだった。すばらしく平穏な完成した社会がありながら、国家の指導階級はそれを疎ましく思った。しかしその階級は、外国人から見ると形式と体裁だけを気にするビックリするほど無能で不機嫌な連中だったのである。こうした無能な連中の下で、完成された社会が存在していることにもまた、外国人は驚いた。
1860年代に鉱山技師として来日したパンペリーという人物がいみじくもこう書いている。「日本の幕府は専横的封建主義の最たるものと呼ぶことができる。しかし同時に、かつて他のどんな国民も日本人ほど、封建的専横的な政府の下で幸福に生活し繁栄したところはないだろう」と。
日本は、社会全体が幸福な平衡に達していたわけではなく、あくまでその平衡は下層階級の間に限られていた。幸福な下層階級と、無能で不機嫌な指導階級。その対比が社会にどのようなダイナミズムをもたらしたのかということが、本書を読みながら大変気になったところである。
ここに描かれたおとぎの国は、もはや存在しない。我々は既に近代化し、まどろみから目覚めてしまった。一方ブータンは、近代化しながらも、古い社会の良さを失わないようにする困難な社会実験をしている。その結果がどうなるのかは興味あるところだ。その取り組みがぜひ成功し、西洋近代社会とは違った文明システムが、この世界には共存できるのだということを示して欲しいと本書を読んで思った。
失われた日本の「手触り」を感じられる珠玉の論考。
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