李陵の存在を手がかりにしながら、匈奴の社会について考察する本。
本書は、中島 敦の『李陵』に刺激されて書かかれたものである。 古代遊牧民族の研究者である著者は、中国人としての李陵の生き様だけでなく遊牧騎馬民族の視点も加えて李陵のことを語ってみたくなり、この書をものしたという。
李陵は、漢の武帝の厚い信頼を受け、軍隊を率いて匈奴と戦ったが、行き違いや勘違いから匈奴に寝返ったと誤解され、親族を誅殺されてしまう。 これに激怒した李陵は、その本心では漢へ戻りたかったにも関わらず、本当に匈奴へと寝返り、以後匈奴の忠臣として栄達することになる。一方、同じような境遇にあって匈奴へは寝返らず、あくまで漢の臣すなわち敵国人として匈奴の地で辛い生活に耐えた蘇武との鋭い対照もあって、李陵の物語は永く中国大陸で語られてきた。それ恰も、我が国における判官伝説のようなものであるという。
著者はこの物語の背景にある匈奴と漢の関係、言い換えれば遊牧民族国家と農耕民族国家の関係を考察する。李陵は、ただ匈奴へと投降したのではなく、単于(ぜんう)からの誘いを受けて匈奴の将軍となっているが、敵国人を将軍にするというのはどうしてか。
しかも独り李陵のみではなく、意外と多くの漢人が匈奴へと亡命し、匈奴社会において軍人や官僚として栄達の道を歩んでるのである。李陵も単于の娘を娶っており、相当な権勢を誇っていたようであるし、彼らは現代社会での亡命者のイメージとはかなり違う。
そして、それは漢人が優秀だったから遊牧民族社会で成功した、ということではおそらくない。それよりも、単于は積極的に漢人をリクルートしてポストを準備しており、かなりの数の漢人が匈奴に亡命して住んでいたらしいことを考えると、匈奴の社会構造自体が、亡命漢人の存在を前提にしたものだったように思われる。
なぜ匈奴の社会は亡命漢人を必要としたのか? 著者の考えはこうである。匈奴は文字を持たなかった。しかし広大な匈奴を文書を使わずに治めていくのは困難で、人口や生産力の把握といった基本的なことでも、文字がないととても管理しきれない。そこで漢人を官僚として使い、支配機構に組み込むことで国家体制を維持していたのではないか。
とするなら、匈奴と漢の戦いというと、遊牧民族と農耕民族の争い、というように見がちなのだが、それは妥当な見方ではなく、匈奴は遊牧民族と農耕民族のハイブリッドで出来た国家であり、漢なかりせば匈奴もなかったということになる。
ところで本書のエピローグは、まるで本編とは違うテーマのことが書かれていて、唐帝国と突厥、そしてそこに活躍したソグド人たちについて述べられている。実は私が本書を手に取ったのは、まさに護 雅夫がソグド人に深い関心を寄せていたからで、李陵を中国史からの視点だけではなく、中央アジア史からの視点から書いているのではないかと期待したからであった。
著者がエピローグでソグド人に触れているのは、突厥を内部で支えて(あるいは操って)いたのがソグド人だったからであり、突厥が遊牧民族とソグド人のハイブリッド国家であったとするなら、匈奴も遊牧民族と漢人のハイブリッド国家であったといえぬこともなかろう、と傍証する意図のようである。
本書は漢文に親しんだ人でないとちょっと読みにくいところがあり(読み下し文にはなっているが)、地の文も文語体になっているところがあって(中島 敦の影響だと思う)、そのテーマもやや専門的なので少し取っつきにくい本である。しかし遊牧民族国家というものを考える時、面白い切り口を提供していると思う。
文学でなく史学として李陵を考察した真面目な本。
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