明治後期に島津家の当主となった島津忠重とその弟たちの家庭教師であったエセル・ハワード女史のエッセイ。
私は、明治の鹿児島はどんな様子であったのかという興味から本書を手に取ったのだが、このアテは全く外れてしまった。というのは、忠重は学習院で教育を受けるため上京するのだが、ハワード女史が家庭教師を務めるのは忠重が東京に行ってからの話なのである。
ということで、『薩摩国見聞記』の表題は不正確である。鹿児島へ行った時の様子も数ページ記載があるがほとんどは東京の暮らしの描写なので、どうしてこのような表題をつけたのか全く分からない。
さて、ハワード女史というのは島津家の近世史を語る上で異色な存在である。父の死去に伴って若くして家督を継がざるを得なかった忠重のために、忠重の後見人ら(松方正義など)はイギリス人のハワード女史を起用するのである。華族の子弟の教育に外国人を起用するというのは、全国的に見ても異例のことであったに違いないし、島津家としても初めてのことであった。
しかも、勉学のための家庭教師ではない。起居を共にし、生活全般を取り仕切る、いわば代理母としての役割がハワード女史にあてがわれたのであった。ではこのとき実母はどうしていたのか? 実は古くからの慣習で、子育ては乳母がやるということになっており実母は子の教育にはノータッチだったらしい。本書にも1行も実母の記載はない。
ハワード女史は日英の文化に横たわる非常なる懸隔に戸惑いながら、旧弊を改め新しい時代の人間形成にむけ奮闘する。とはいえ例えばキスはしないなど、人間形成というより単なる慣習による部分については日本のやり方を尊重する。行間から覗くのは、先進国たる英国から進んだ文化を教えようとする高踏的姿勢ではなく、ものすごい早さで近代化を成し遂げつつあった日本人への敬意、そして忠重公への愛である。
こうして彼女から受けた教育は、当時としてかなり開明的であったに違いなく、華族制度が廃された後、島津家が没落することなくそれなりに社会的地位を保てたのは、この先進的教育のお陰もあったのではないかと想像される。
また、本書を読むと明治後期の日本社会の様子が垣間見られるようで面白い。というか、私の関心はむしろそちらにあり、些細な記述の一つ一つが興味深かった。
表題はほとんどウソだが、明治後期の日本と島津忠重が受けた教育について生き生きとした記述で知ることができる本。
【関連書籍の読書メモ】
『逝きし世の面影』渡辺 京二 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2016/02/blog-post_24.html
外国人が残した記録によって辿る、徳川期の日本の残照。
失われた日本の「手触り」を感じられる珠玉の論考。
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