著者は、木材(それはしばしば小さな木片である)の解剖学的特徴からその種を同定するという仕事(研究)を行っている。木片を薄くスライスして顕微鏡で観察するのが基本だが、文化財の調査では試料を採取できない場合も多い。その場合、自然に剥落した木片が使われることもある。ボロボロの状態であるためスライスができない場合は、Spring-8(放射光の施設)でそれを観察する。
そのようにすれば、専門家なら樹種などすぐに分かってしまうのではないかと思うが、どうやらそうではないらしい。そもそも針葉樹は組織がシンプルでほとんど区別がつかないという。よって著者はいろいろと工夫したり、五感を使って精細に観察したりして樹種の同定を行っている。そうした努力により「国内の木材については、植物分類学上の科、属、種の内、属レベルまでであれば、ほとんど識別できる状況(p.42)」になっている。
本書は著者が手がけた事例のいくつかを紹介しながら、木材解剖学の初歩を紹介したり、文化財の紹介をしたりするエッセイ的な本である。大まかに言えば、本の前半では木材解剖学の話が、後半は文化財の話が多い。
私は仏像の樹種について興味があって本書を手に取った。仏像については、まず日本に仏像が伝来した当初はクスノキによる造像が行われていたようだ。それが8世紀に入ると用材に大きな変化がおこる。針葉樹による造像に変化したのである。特に使われたものはカヤである。
ではなぜそのような変化がおこったか。著者は中国から「栢木」という概念が伝わってきたためではないかと考える。 「栢木」とは、『十一面神呪心経』の注釈『十一面神呪心経義疏』(慧沼)に「白檀の代用材」として説かれているものである。ここでは「白檀がないならばその代わりに栢木を使って十一面観音像を製作しなさい」と書かれている。この義疏に書かれていたばかりでなく、中国では白檀の代用材としての栢木の観念が7世紀後半には広まっていたらしい。ではこの「栢木」は日本では何の木だと認識されていたかというと、これがカヤのことではなかったのか、というのが実際の調査から見えてきた結論である。
日本の古代では、建造物の柱材としてヒノキ、コウヤマキ、スギ、モミに次いでカヤが使われている。なおコウヤマキにはなんらかの信仰心があったと思われ、棺材としても使われていた。古墳時代や奈良時代にはコウヤマキが建築においても重要視されていたが過剰な伐採によって枯渇したと考えられる。カヤもコウヤマキと同じように信仰心から重視された可能性がある。
さらに神像にもカヤが多く使われていた可能性がある。著者が調査した11〜14世紀の滋賀県蔵の神像7体はカヤだった。この他、ケヤキ、サクラ属などが神像に使われたことが著者が調べた神像の範囲では明らかになった。そして平安時代以降はヒノキが使われる事例が増えている。さらに世界の博物館・美術館に流出した神像9体について調べると、8体がモクレン属、1体がクリ属であった。どうやら出雲から世界に散逸した(と考ええられる)平安時代の神像の多くがモクレン属で造られていたようだ。これは実は珍しい事例で、モクレン属のホオノキが蛇に見立てられて御神木となったという説もあることから、何らかの意味がある用材選択であったと見られる。
ちなみに、仏像の用材選択において日本と中国では大きな違いがあり、中国では軽い材が好まれて使われた。シナノキ属、ヤナギ属、キリ属などが使われている。「なぜキリ属のような軽い木で造像を行ったのか、不思議(p.127)」。「中国では仏像を持ち運ぶ習慣があったのか、あるいは植生が限られていたのか(同)」、現時点ではよく分からない。なお中国では「栢木」はイトスギ属であったと考えられる。
この他、木床義歯(木で造った入れ歯)、茶室に使われた木、近代建築の建築用材(大正時代には少なからず北米産材が使用されている!)などの話題が盛り込まれている。
本書は少し無理にエッセイ風にしている部分を感じた。柔らかいタッチにするために不自然にエッセイ風表現にしているような箇所があるのである。たとえば著者の小さい頃の思い出が挿入されるなどであるが、そういう箇所の文章はなんだか精彩を欠く。著者本来の文章はもう少し学術的なのかもしれない(論述を書いている部分の方がかえって読みやすい)。ただしエッセイ風を装った(?)口絵写真などは大変雰囲気がよかった。
あまり耳慣れない木材解剖学に文化財の話題で親しめる入門書。
★Amazonリンク
https://amzn.to/4sAPjo5

0 件のコメント:
コメントを投稿