2020年10月12日月曜日

『石塔の民俗』石井 卓治 著

墓石の成立と石塔を関連づけて語る本。

著者の土井卓治は、岡山県の文化財専門委員を務めたり、日本民俗学会に所属するなどしてはいるが、石塔については専門ではないらしい。本書は、専門外の立場から石塔の世界を紹介し、特に今見られる墓石=普通のお墓がどのように成立したかを推測したものである。

本書の問題意識は、「(墓塔が)本来あるべき姿から非常に縁遠くなった形をとるようになってきたのは何故か。どんな過程を経てそうなったものだろうか」を解明したいということにある(p.9)。

日本では、仏教式の石塔(供養塔)は古代から建立されている。本書には古代からの石塔及び墓誌銘の事例が列挙され、今日の墓石に刻む銘文の内容は古代においてほとんどつくされていることが示される。ただし、中世になってから逆修(生前に自らの死後の供養を行うこと)が行われるようになるなど、供養塔の性格が一貫しているわけではない。

特に著者が疑問に思っているのは、石塔が依り代の役割を果たしたかどうかである。また礼拝の対象が死者の霊であったのかどうかも未解決である。石塔は、死者の名前(戒名)を刻むものというよりは、主尊を供養することに主目的があり、いうなれば建てるだけでその目的を果たしたため、参拝は必須ではなかった。それに石塔=墓標ではないので、埋葬地に建てる必要もなく、いくつあってもよかった。

また、故人の菩提を弔うために石塔は必須ではない。例えば手水鉢を寄進するとか、写経する、橋をかけるといったこともその役割を果たす作善行為(功徳を積む行為)であった。しかしやはり人々は死者に対して石卒塔婆を建てることを盛んに行った。その背景には、石塔それ自身に人々が霊力・魔力を認めていたということがあるのではないか。

こうした疑問を抱きつつ、著者は現在の墓石の原型として板碑に注目する。他の石塔(五輪塔や宝篋印塔)に比べ、板碑は製作がずっと容易であったため、庶民にも広まった。ただし板碑が墓石の原型であることは必ずしも完全に承認されていない。そこで本書では江戸時代の墓石の形式が確立するまでの様々な事例を挙げて、板碑がその元になっていることを例証している。

一方、板碑と墓石の大きな違いは何かというと、(1)板碑には主尊が刻まれるが、墓石には主尊ではなく戒名が中心であること、(2)板碑には建立年月日が刻まれるが、墓石では故人の死亡年月日であること、の2点である。すなわち墓石は、仏教的な表象を全て失って故人の記録のみを担うものになった石塔である、と考えることができる。本書はこのような変化が起こった力学を全て説明はしていないが、その議論は概ね説得的だと思った。

本書後半は、トピック的に石塔について語り、特に著者の研究フィールドである岡山の事例について述べている。例えば、石塔に納骨したかどうかというような問題、そして岡山の石塔に使われている石材がどのようなものか、といったことについてである。

全体として、本書は(非専門家ならではの?)鋭い指摘が多い。例えば、故人の菩提を弔うために石塔は必須ではないのになぜ石塔は盛んに建てられたのか、というようなことは、石塔ばかり見ている人は意外と気づかない視点だと思う。石塔を建てることは当然ではなく、元来は意味のある行為であったが、その意味がだんだん忘れられ、形骸化することで却って庶民にも造塔が広まり、結果的に墓石の形式が確立していったという逆説的な展開は非常に面白く感じた。

新鮮な角度から墓石の形式の成立を論じた良書。


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