過去の文明の例を引き合いに、食料システムの脆弱性に警鐘を鳴らす本。
本書は、16世紀の終わりにイタリアから世界周遊の貿易旅行に出かけたフランチェスコ・カルレッティの足跡を辿りながら、その土地土地での様々な時代の文明の勃興と崩壊に触れ、その背景にあった食料システムの問題を紹介するものである。さらにその都度、現代の食料システムが抱える問題についても考察し、このままでは大規模な飢餓が発生するといった危機的状況になることを警告している。
しかし、その筆はあまりうまくない。
まず、 過去の文明が抱えていた食料システムの不全についての説明が十分とはいえない(なお、食料システムのことを本書では「食糧帝国」と呼んでいる)。
文明の勃興期においては、食料システムはうまく機能していた。多くの人口を支えるための農産物生産、保存、流通、取引の仕組みはどんな文明でも存在し、それがうまくいったからこそ文明はより発展することができた。だが、土壌の生産力の限界を超えて生産し土地が疲弊したり、流通経路が使えなくなったり、要するにサプライ・チェーンの鎖のどこかが壊れることで、このシステムは崩壊し、そしてその文明もまた滅んでいった。
しかしそれは、本書の副題に掲げられているように「食物が決定づけた文明の勃興と崩壊」とまではいえない。むしろ、文明が衰退の途にあったからこそ、食料システムが崩壊していったと考えることもできる。文明が衰退すれば、食料生産だけでなく、警察機構、法、取引、租税など様々な面で社会の仕組みがほころんでいく。というより、それが文明の衰退そのものである。それは食料システムの不全が文明の衰退を招いた、というような単純な因果関係で説明できるものではない。
そして、過去の文明の食料システムの説明も、さほど詳しいものではなく、ほんの概略的なことが述べられるに過ぎず、どこに問題があったのか納得できる形で示されていない。どこに真の問題があったのか、ということの探求がなおざりであるから、そうした過去の失敗が現代の食料システムの問題を考察する上での材料になっておらず、「最初はうまくいっていた食料システムもいつかは崩壊する」という程度のことしか教訓を引き出していない。
また、現代の食料システムの本質的な問題は、持続的な形で農産物を生産しようとすると、90億人を養うことはおそらく不可能である、ということだと思うが、本書ではこの問題に対して、CSA(地産地消運動)とか、スローフード、有機農業やフェアトレードといった「焼け石に水」的な解決策しか提示していない(著者自身がそう述べている)。こうしたものでは、多くの人口を養っていくことはできないというのに。
一方で、なかなか面白い小ネタはたくさん盛り込まれている。特に面白かったのは、中世の修道院が製粉権を地域独占していて、これを担保するためにならずものを雇って農民の挽き臼を破壊させたことがある、という話。食料というものは、人が生きていく上では絶対に必要なものだから、ここに既得権を築ければ強い力を得ることができるのである。
とはいえ、そうしたエピソードが、単にエピソードとして語られていて、その背景にどういう力学が働いていたのかという考察が本書ではすっぽりと抜け落ちている。例えば歴史的に、農地利用については税のあり方が大きく影響しているのだが、 本書ではほとんど税については触れられていない。
さらに、本書は「ヒストリカル・スタディーズ」というシリーズの一冊となっているが、参考文献・出典が全く表示されていない。歴史を語る上で、出典を明示しないのは最低限のルールを守っていない本だと言わざるをえない(ただし、日本語訳の際に割愛された可能性はある)。
というような問題があるため、現在の食料システムに問題があるという主張自体は間違っていないが、その問題提起の仕方、考察の仕方、提示された解決策の質、どれをとっても床屋談義の域を出ていない。また、カルレッティの足跡を辿るという趣向も、話があっちへ行きこっちへ行きするという意味で散漫であり、成功しているとはいえない。
歴史へ真摯に向き合っていないために、現在の問題を考える際にも表面的な、おざなりな本。
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