2015年3月24日火曜日

『イスラーム思想史』井筒 俊彦 著(その2)

ここで少し時間を遡って、8世紀のカリフ・マアムーンのギリシア古典翻訳事業について触れなければならない。

マアムーンは知性的な君主であり、自身が神学的・哲学的思索を好んだ。彼は特にギリシア哲学の研究を組織的に行わせたため、非常なる熱意でギリシア思想の翻訳・理解が進められた。これにより、イスラーム世界にはプラトン、アリストテレスなどの諸著作が高水準の翻訳で流布された。特にアリストテレスの思想は強大な影響力を持ち、イスラーム思想に流れる巨大な伏流水となるのである。

そしてその伏流水がイスラーム世界に流れ込む取水口となったのが、新プラトン主義である。新プラトン主義とは、紀元3世紀ごろにプロティノスによって提唱され、後世に至ってプラトンの思想と混淆してプラトンに帰せられたもので、この時代のイスラーム世界ではプラトンの思想そのものと思われていた。

だがその内実はプラトンの思想とは全く異なり、プラトンのイデア論を土台にしながらも世界の創造を「一者」からの(意図しない)「流出」と見て理解するものだった。この思想はキリスト教世界にも流行していたが、一神教世界で新プラトン主義が受容されたのには理由がある。

というのも、プラトンにしろアリストテレスにしろ、ギリシア哲学者は多神教の世界観で哲学を育んできたわけで、一神教の世界観、つまり至高の存在が世界を統べているという考え方とは齟齬する部分がある。そのため、ギリシア哲学を受容したイスラーム思想は、いきおい折衷主義的にならざるをえなかった。その折衷策の一つが新プラトン主義だったわけだ。

つまり、イスラーム世界はアリストテレスの哲学を継承してはいたが、それは新プラトン主義を通じて理解されたアリストテレスであった。換言すれば、純粋なアリストテレスそのものというより、潤色されたアリストテレスだったのである。その上、今では偽作と判明している諸著作もアリストテレスのものであると誤解されて、新プラトン主義の流布に巨大な影響を及ぼしたのであった。

そういう、新プラトン的アリストテリスムをイスラーム世界で確立したのが、最初のイスラーム哲学者と呼ばれるキンディーという人である。キンディーはアッバース朝の初期、マアムーンと次のムアタスィムという2人のカリフからの庇護の下、あらゆる学問に通暁した百科全書的な知識を土台にギリシア哲学の研究に邁進した。彼の哲学史的な意義は、新プラトン的アリストテリスムをムアタズィラ派のイスラーム神学と一致させようとしたことにあり、これがイスラーム思弁神学(スコラ哲学)の源流の一つなのである。

アリストテリスムを土台にしてイスラーム哲学を生みだしたのが、「第二の師」と呼ばれるファーラビーである(ちなみに「第一の師」はアリストテレス)。ファーラビーはアリストテレスの諸著作にたくさんの注釈を施してイスラーム的なアリストテレス理解を推し進めた。しかも彼は真理と理性を非常に重視し、哲学的思惟によって到達したことならば、たとえコーランと衝突しようともそれを主張したのだという。

そしてファーラビーの新プラトン的アリストテレス理解は後に西欧に移入され、甚大な影響をもたらすことになる。そこで、やや煩瑣になりすぎるきらいもあるが、ここで新プラトン的アリストテリスムについてほんのサワリだけ説明しておこう。

全ての結果には原因がある、という因果律を承認するならば、その原因にも原因があるはずで、因果の鎖はどんどん遡っていく。そしていつかはそれ以上遡り得ないものにまで行き着くのであるが、それがプロティノスのいう「一者」(または「第一原因」)である。これは全ての原因であるのだから、時間的には世界の始まりにあったはずである。そして、それは森羅万象あらゆるものの元になった原因なのだから、世界そのものの存在も「一者」に帰せられる。つまり世界の創造は「一者」によるものである。

この理論を提唱したプロティノスは、この「一者」をあらゆるものを超越した「無」であると考えたが、ファーラビーはこれをそのようなものとは考えなかった。ファーラビーがいくら真理を愛する哲学者であろうとも、やはり彼は敬虔なムスリムであったので、世界を創造したのは「神」でなくてはならなかった。

すなわちファーラビーは、この「一者」をプロティノス的な「無」ではなく、いかなる質料をも持たない(つまり現実世界における存在を持たない)絶対的叡智体、すなわち超越的な「知性そのもの」の神として表象し、「第一存在」と呼んだ。これがイスラームにおける新プラトン的アリストテリスムの基礎となる概念の一つである。

「第一存在」は全ての原因となる超越的な始原であり、そこから世界の全ては「流出」する。原因と結果の長い鎖が連なって全宇宙が構成されるわけで、このような世界観では、宇宙は大変スタティック(静的)なものになる。

やや乱暴な譬えをすれば、この宇宙は広大な玉突きゲームのようなもので、最初の玉(第一存在)の動きさえ決まればあとの玉の動きは全て決まってしまうというのが新プラトン的アリストテリスムの宇宙観であった。だがそうなると、世界の全ては受動的にしか動けないということになる。そんな世界で、果たして人間が自由に思考することというのは可能なのだろうか? 真理を求めて思索するその知性すら、因果の秩序に固定された、予め決められたものだというのだろうか?

ファーラビーはこの疑問に対し、「能動的知性」というものを考案した。我々の知性は、生まれつき備わっているものではあるが、それはあくまでも潜在的に知的活動できる(可能的知性)というだけで、それだけでは真の意味で(つまり思考力を能動的に使うという意味で)知的に働くことはできない。だが、そこに高次の世界(形而上の世界)から「能動的知性」というのが働きかけて、それによって我々の知性は働くことができるのだという。

つまり、先ほどの譬えをもう一度使うのなら、普段の世界は玉突きゲーム的なのであるが、そこに「能動的知性」というキュー(玉突き棒)が高次の世界からにゅっと現れて我々の知性をそれまでの因果の秩序に縛られない方向に動かし得るというわけなのだ。

このような説明をすると、あまりに現実離れした夢想的な感じがしてしまうのであるが、現在の言い方で言えば、この「能動的知性」は「(創作の)霊感」とか「インスピレーション」といったようなものと近く、作家が「(アイデアなどが)降りてこないと書けない」とかいうのと同じような部分がある。この「能動的知性(intellectus agens)」はファーラビー以降の哲学で大きな問題となり、やがてイスラーム哲学を継承した西洋中世哲学にも取り入れられて喧しい議論が展開されていく。

さて、少し話題を変えて、また時は8世紀に戻る。元々は素朴な商人たちのための宗教という側面が強かったイスラームであったが、イスラーム世界が広大な領域を征服していくにつれ、ムスリムたちの生活は次第に現世享楽的なものになっていく。もはやイスラームは支配者の宗教であったので、それも無理からぬことであった。

しかしそうなると、元々イスラームが持っていたはずの精神性が蔑ろにされていると感じる人たちも多くなってくる。そして人びとの間には、我々は便利で豊かな生活に狎れて本来の神の教えを忘れてしまったのでではないか、という深刻な悩みが澎湃としてわき起こってきた。そしてその中から、現世的なもの全てを捨てて人生をただ神への祈りへと献げる、という過激な修行の路に進むものがでてきた。

これは最初期には、いわば無念無想の念仏三昧のように、心をなくして神の唱名をひたすらやるような修行だったらしい。しかしこの極めて実践的な活動でも、新プラトン的アリストテリスムの強大な影響からは逃れることはできなかった。やがて修行者たちは哲学的思索を行うようになり、そこからイスラームの神秘主義思想であるスーフィズムが生まれるのである。

スーフィズムがイスラームにもたらした重要な要素は、神に対する熱烈な「愛」という概念である。この神を焦がれる気持ちは恋愛にも擬せられ、やがてペルシア文学に大きな影響を与えることになる。抒情詩人たちは、神と人の関係を優婉な乙女と青年との切ない恋になぞらえ、 独特な官能的詩境を展開していった。元は現世的なものを全て捨てることから始まったスーフィズムから皮肉にも官能的な世界が生みだされ、この官能性は後世のイスラーム文学の一大特徴となっていくのである。

(つづく)

【3/27アップデート】
読みなおしてみると、ファーラビーを語る上でやはり「能動的知性」の問題は外せないように思われたので、「能動的知性」の説明を追記した。

0 件のコメント:

コメントを投稿