2014年6月11日水曜日

『イスラーム農書の世界』 清水 宏祐 著

中世から近世のイスラーム世界で著された農書を概観する本。

10世紀から17世紀の中東イスラーム世界(アラビア語を共通語とし、ムスリムが中心となって構成されている世界)では、多くの農書が出現したという。本書では、それらの農書を地域的・歴史的に概観し、そのうちの一書『農業便覧』の内容をやや詳しく紹介した上で、中東の農業の特質を考察するものである。

本書には記載がないが、10世紀のイスラーム世界というと、いわゆる「アラブの農業革命」の時代にあたる。これは、このころのイスラーム世界で農業の生産性の飛躍的な向上と作物の広範な伝播が起こったとする説で、アンドリュー・ワトソンという人が1973年に提唱した。その後、革命といえるほどの大変化ではなかったのでは、という反論(例えばマイケル・デッカーという人が主張している)が出ているので、今の学界ではどのように考えられているのか分からないが、平均的な農業技術が進歩した時代であることは認められているように思う。

そこで、実際のイスラーム世界の農業はどのくらい発展していたのだろうか、という疑問を抱いて本書を手に取ったのだが、本書は農書をごくかいつまんで紹介するものであるから、農業そのものの有り様(例えば、どのような人が農業を担っていたのか、どのような土地制度だったのか、など)を説明してはいないし、中東の農業技術の発展段階についても世界的な比較を行って位置づけることはしない。例えば、中世において既に中東では条播きと中耕の技術が一般化していたが、ヨーロッパにこれが導入されるのは近代になってからであって、この面で中東の農業は欧州のそれに先んじているのであるが、そういった比較は本書ではなされないのである。

また、なぜ農書が出現したのか、という根本的な問題についてもあまり深く考察していない。農業というのは、現代においてすら口伝えや研修、いわばOJTによって学んでいくものであり、ましては中世においては書物を頼りに農業技術を習得するということはほとんど稀有なことだったに違いない。にも関わらず多くの農書が生まれたのはなぜか、というのは大きな問題で、本書ではその理由について(1)領地の経営を行うため、(2)一度農書が生まれるとそれを各地の気候や風土に合わせる必要がでてきたから、と簡単な解説を添えているが、それが本質なのだろうか? 私はこの点に関して、徴税の仕組みともしかしたら土地制度が関連しているのではないかと思っているが、本書を読む限りでは不明である。

というような不満があるのだが、なにしろ本書は中世イスラーム世界の農業というニッチな分野の入り口を用意する短い本なので、込み入った考察を期待するのは酷というものだろう。イスラーム農書の系譜を簡潔に述べる章だけでも本書の価値はあるくらいで、よくぞこういうテーマで本を書いてくれたと喝采したい気持ちである。

また、農書の内容については、本書が中心的に解説する穀物栽培のことはさておき、果樹栽培の技術が進んでいたらしいことに興味を惹かれた。本書ではほとんど果樹栽培の内容については触れていないが、これはより具体的に栽培技術を知りたいと思う。

とにかく、簡潔すぎることが憾みではあるものの、イスラーム農書という豊穣な世界の入り口となる貴重な本。

0 件のコメント:

コメントを投稿