2018年5月1日火曜日

『靖国神社』大江 志乃夫 著

靖国神社とは何か、丁寧に解き明かした本。

著者の大江志乃夫は、靖国神社や忠魂碑に関する訴訟において原告側の証人として意見陳述することになった。しかしとても半日足らずの尋問では回答できない難しい内容であるため、予め「意見書」を裁判所に提出し、法廷ではそれを補足するという形を取った。本書は、その際の「意見書」を元に、全面的に書き改めたものである。

この訴訟は、靖国神社や忠魂碑へ行政が公式に関与することが信教の自由や政教分離に反し違憲であるという訴えであった。よって彼は靖国神社が「国体」と一体不可分のもので、軍国主義と宗教とを結びつける施設であったことを緻密に論証していった。

第1章では、現在の靖国神社にまつわる問題が概観され、その成立史をまとめている。靖国神社は政教一致の戦前日本を象徴する存在であったため、戦後はその形を変えたものの、「私的な宗教法人」であることを盾にしてその性格は大きな変更なくして現在に至った。

第2章では、靖国神社を生みだした「国家神道」の成立が簡単にまとめられている。大日本帝国憲法において天皇が統治権を持つとされた唯一の根拠は「天壌無窮の皇統」にあるとされた。このことは、天皇の権威の源泉が(武力ではなく)宗教性であるために無制限の権力の拡大を招き、「国家神道」があらゆる宗教を超越し、全ての国民を統御する力を持つまでになった。

第3章では、靖国神社の成立史を、より多面的に分析している。靖国神社は陸海軍が管轄する軍事施設であったが、その思想的背景には古くからの御霊信仰があった。しかし元来の御霊信仰は現世に恨みを以て死んだ人を祀るというものであるが、靖国神社ではこれが忠臣を神として祀るというものへと転換された。これは新たに創出された信仰であるために、すぐには軍人においてすら受け入れがたかった。しかし天皇が靖国神社を伊勢神宮と並ぶ最高の宗教施設として遇したことや教育(祭祀の強制)等、大規模な顕彰の行事などにより、日露戦争後に戦前の靖国神社信仰が確立した。

第4章では、当初は軍の管轄ではなかったが、やがて在郷軍人会の関与の下で事実上の靖国神社の地方での分祀になっていく「忠魂碑」や「護国神社」についてまとめている。本章は、本書成立の直接の契機である訴訟に関するものであり、靖国問題を考える上でのケーススタディと捉えることができる。多くの地方で残されている「忠魂碑」や「護国神社」がその成立の事情から説き起こされ、非常に参考になった。

「おわりに」では、本書成立の事情が述べられるとともに、著者の強烈な問題意識「一身を天皇に捧げた戦死者の魂だけでもなぜ遺族のもとにかえしてやれないものか、なぜ死者の魂までも天皇の国家が独占しなければならないのか」が提起される。まさに靖国神社は、国家へ尽くすことのみを最高の徳行とし、本来悲劇であるはずの戦死が栄光に満ちた名誉であると転換させる宗教装置として働いた。それは、本来は私的領域に属する戦死者の魂の行方までも国家が管理することによって完成したのである。

著者が当事者として強烈な問題意識のもとに書き上げ、靖国神社成立の事情が豊富な一次資料によって明かされた名著。


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