2017年9月7日木曜日

『コシヒカリ物語―日本一うまい米の誕生』酒井 義昭 著

コシヒカリ誕生の謎を追う本。

コシヒカリは、太平洋戦争末期から終戦直後にかけての食糧難の時代に開発された。コシヒカリというと美味しいお米の代名詞となるくらいであるが、収量は少なく病気には弱く、栽培はかなり難しい。食糧増産が叫ばれた時代に、このような美味しいだけが取り柄の品種が生まれたのは一体どうしてか。

本書は、この疑問を出発点として、コシヒカリが日本の水稲の作付面積第1位になるまでに普及したその歴史を紐解いていくものである。

その答えを一言でまとめてしまうと「偶然であった」としかいいようがないようだ。

コシヒカリの元となった「農林22号×農林1号」という交配を行ったのは新潟県農業試験場の高橋浩之。終戦間際のことであり、人員も設備もない中での非常に苦労した交配であったが、高橋はこの交配種の行く末を確認することなく転任している。

この交配種を受け継いだのは長岡農事改良実験所の仮谷 桂と池 隆肆(たかし)。しかし、この交配種はそもそも農林1号の耐病性を強化するという育種目標で作られたものだったのにも関わらず、耐病性がよくなかったため有望視されず、当時新設された福井農事改良実験所に送られることになる。新設のために実験材料が不足していたからだった。

福井でこの交配種を担当したのが、水稲の育種は全く素人だった石黒慶一郎。福井農事改良実験所は貧弱な体制で、水稲育種に詳しいのは所長一人という状態だった。当然に石黒は水稲育種に行き詰まり、気晴らしに農民小説などを書いていたほどだった。だがこの交配種の雑種第5世代から「ホウネンワセ」と呼ばれることになる割合優秀な系統が出てきた。 一方、後にコシヒカリとなる系統は、ここでも有望視はされていなかったが、なぜか捨てられもしなかった。

なぜ有望でない系統を捨てなかったのか、ということについては石黒自身も分からないらしい。著者の推理では、ホウネンワセを生みだして精神的余裕が出ていた時期だったので、少しくらい欠点があっても捨てないでおこうという心理が働いたのでは、ということである。ちなみにこの時まで、食味の試験は一切されていない。熟色がよいということは評価されていたが、味が美味しいから残されたというわけではないのである。コシヒカリは、美味しいということを除けばさしたる長所はない品種なのであるが、そんな品種が食味検査によらず生き残っていったということ自体が不思議なのである。

後にコシヒカリとなるこの系統は、「越南17号」と名付けられた。だが仮に系統名がついたとしても、これを自治体が奨励品種として採用しなければ品種として登録もされない。試験のために各地に配布された「越南17号」だったが、ほとんどの試験地では落第点で、これを僅かに有望と認めたのは新潟と千葉のみであった。ここで「越南17号」を拾ったのが、新潟県農業試験場の杉谷文之だ。杉谷は総スカンで反対をくらうなか、「越南17号」独断によって新潟の奨励品種にしたのである。

杉谷はどうやら「越南17号」の食味の良さは割合買っていたらしい。しかし杉谷がこれを奨励品種に採用したのは、この系統の優秀さを認めたからというよりも、他の試験場へのライバル意識や功名心、本命の品種までのつなぎとしての活用などいろいろな思惑があってのことだった。ここは非常に人間くさいところであり、おそらく、杉谷のようなワンマン場長が非合理的な判断によって採用するのでなければ、「越南17号」は奨励品種に採用されていなかった。何しろ、「越南17号」=コシヒカリの真価には、誰もその時気づいていなかったのだ。その時は、病気(イモチ病)に弱く、倒伏しやすく、収量も上がらないという欠点ばかりの品種だと思われていた。

こうして様々な偶然によって世に出たコシヒカリだったが、このような欠陥だらけの品種は当然あまり採用されなかった。だが試験場がコシヒカリの欠陥を克服するような栽培法を確立しようと努力したこともあって、新潟県魚沼地方がこの品種の栽培に取り組み始める。実は、魚沼地方の人も、コシヒカリの食味の良さに惹かれたわけではない。コシヒカリの耐冷性に注目し、山間部の低い気温でも生育がよく収量が期待できるという点に惹かれたのであった。

この時代は食管法があったから、米は国が全量定額買取を行っていた。たとえどんなに美味しい米でも、不味い米でも価格は同じであった。だから、美味しい米を作ろうとするインセンティブはほとんどないのである。収量が大事な時代だった。そんな時代に、味だけが取り柄のコシヒカリは様々な偶然に支えられて誕生したのである。

時代が移り食管法が緩和され自由流通の米が出るようになると、コシヒカリの人気は急上昇した。 食味が極上に優れているのだから当然だった。こうなると、栽培が難しいという欠点は、様々な人の努力により克服されていった。コシヒカリが世に出たのは偶然だったが、それが普及し、最大の栽培面積を誇るようになったのは多くの努力の成果であり、ある意味では必然であった。

著者は農業関係に詳しいジャーナリスト。本書の前半はコシヒカリ誕生の謎に迫っていくというミステリー風の筆致であり、水稲の育種という地味な素材を使いながら引き込まれる展開である。後半はコシヒカリが普及し、日本一の座を確立するまでの話。後半は統計的なものが多く人間ドラマには欠けるが、コシヒカリの歴史を多面的に扱っており勉強になった。

コシヒカリの誕生を通して水稲の近代史を垣間見る良書。

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