2015年4月6日月曜日

『アラビア科学史序説』矢島 祐利 著

アラビア科学史を考える断片的論考・メモ。

著者は科学史を研究するうちアラビア科学の重要性に気づき、アラビア語を学んでその研究の道に入る。しかしまずアラビア語がなかなか読めるようにならない。10年たって、ようやく人名が分かるようになってきた、と述べるが、これはどうも謙遜ではないようだ。というのも、アラビア語の人名は大変に複雑かつ同姓同名が多く、ある人物を同定する決まった呼び方も確立していない(※)ので、それだけでも確かに難事業なのだ。

そういうわけで、とてもアラビア科学の通史を書くところまで研究が進まないため、暫定的に研究成果をまとめたのが本書である。まとめたといっても、通史を書くに当たっての考え方なり基盤なりを語る「序説」ではなく、どちらかというと「研究メモ」的なものであって、著者自身の備忘録的でもあるような、散漫な体裁の「序説」である。

例えば、アラビアの科学者について、科学史で取り上げるべき人とその主要な著書をずらずらと並べる章があるが、これは研究カードを引き写したものであるようで、いわゆる「序説」に入るものではなく、これ自体が小辞典のようなものである。

その他の章も、通史的なものの準備というより、断片的にイスラーム科学のサワリを紹介するという感じで、既に発表した論考の寄せ集めも多い。

だが、その内容は極めて堅牢であり、原典から研究しようとしている人の誠実さと慎重さが伝わってくる。文献がなかなか手に入らないなかで、手持ちの文献を最大限に活用して科学史の歩みを明らかにしようとする態度には好感を持つ。

一方そのせいで、引用がかなり冗漫だったり、「序説」といいながら結局アラビア科学の発達の姿がイマイチ見えづらい感じがするという難点もある。とはいうものの、安易にまとめようとするのではなく、分かっていることと、実はまだよくわかっていないことをしっかりと書き分けようとしており、「わかった気になる」他の本よりもずっとよいと思う。

本書の難点があるとすればちょっと古いことで、アラビア科学について今ではもう少し研究が進んでいると思われる。ただしその基礎を理解するには普遍的な価値がある本だろう。

※例えば、ピカソの本名は「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード」だったと言われるが、今ではただ「ピカソ」と言えばこの画家を指すのは明らかだ。しかし文献によって「ホセ・フランシスコ」とか「パブロ・ディエゴ」とか呼び方が一定していなければそれがピカソだと同定するだけで一苦労するだろう。これは極端な例だが、同じようなことがアラビア語の人名では(特にアラビア科学の研究書において)起きているようだ。

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