2015年3月19日木曜日

『イスラーム思想史』井筒 俊彦 著

本書は、イスラームの黎明からおおよそ13世紀に至るまでのイスラーム世界の哲学を概観するものである。

ということは、約700年ほどの期間と、地中海世界という広大な世界における哲学史であり、とてもこのような小著では語り尽くせないテーマである。こういう本は、要領よく思潮を要約して、教科書風の記述になりがちなのであるが、著者はそういう方法をとらず、記述を第1級の人物に限定した上でその思想を丁寧に解きほぐすというやり方をした。

つまり内容が厳選される代わり、より深く思想の流れを理解できるわけで、私のような初学者にとってはたいへん親切な本であると思う。

もちろん、そのために物足りない面もある。特に感じるのは、思想の背景となる社会情勢についての説明が簡潔すぎることである。思想というものは、思想家の形而上の世界に遊ぶだけのものだけではなくて、現実の世界、現実の生活なしには理解し得ないものであるから、当時の人びとの生活ぶりといったものがもう少し知りたいと思った。

という短所もあるにはあるが、このような小著で巨大なイスラーム思想史を取り扱うのだから、そういう文句は言う方がおかしいかもしれない。イスラーム思想というものを学ぶ際に、本書は最初に手に取るべき1冊と言えるだろう。

さて、いつもならばここで読書メモを終えるのであるが、自分自身の備忘のため、本書の内容を記しておく(これは本書の要約ではなく覚書である)。

まず、イスラーム思想の源流は、言うまでもなくコーランと預言者ムハンマドにある。ムハンマドが生きていたころは、思想的問題が生じればムハンマドに裁定を仰げばよかったので体系的思想の必要はなかったが、ムハンマドの死後、様々に起こってくる問題をイスラームに則ってどのように解決すればよいのか、ということを考究するため、まずは「法学」としての思潮が勃興してきた。

このイスラーム法学は、要するにコーランや預言者の生前の言行(ハディース)などから演繹(推論)される法学である。しかし難しいのは、コーランは詩文であるため論理的に無矛盾ではないし、預言者の言行もいわば臨機応変なところがあり、一貫しているわけではないということだ。つまり、コーランを単に論理的に解釈するだけでは体系的な法学を構成することができない。そこで、どのように論理(推論)を進めるかということでいろいろな立場が生じ、いわばイスラーム論理学としての法学が生まれたのであった。

さて、元来は素朴な宗教であったイスラームは、どんどんと周辺地域を飲み込んでいったため、各地にあった在来の高度な宗教・哲学と対峙しなくてはならなかった。キリスト教、ゾロアスター教、ギリシア哲学、ペルシア思想といったような、長い伝統と思索の厚みをもつ宗教・哲学の影響を受けずに済むことはできなかったのである。イスラームは、その教義から惹起される諸問題に対して、それらと比肩する水準で回答を出さなくてはならなかった。

そういう諸問題のうち、非常に重要なのは「宿命」にまつわる問題である。世界の全てを支配する全知全能の神を信仰する宗教においては、「宿命」や「自由意志」をどう考えたらよいのかということが神学的に難しい。全能の神が全てを取り仕切っているなら、この世に存在する社会悪すらも神の意志ということになるし、人間には全く自由意志というものはないことになる。コーランの字句を素直に読むならば、このように世界の全ては神のはからいと見なさざるを得ない。こう考えたのがジャブル派と呼ばれる人たちだ。

しかし、そうだとすれば最高善であるはずの神が、自ら悪業を生みだしているということになる。このころはびこっていた社会悪、世の中の動揺、それらは全て神の仕業ということになるのだろうか? そんなことがあるはずがない、人は、自らの行為を自ら創造するのだ、と考えたのがカダル派である。時はウマイヤ朝の末期のことであった。

ジャブル派とカダル派は、「宿命」について全く逆の考えを持っていたわけで、両派の間では激烈な議論がわき起こった。そして人間の自由意志の有無を論じているうちに、次第に合理主義的思考が発達し、初期イスラームにおける最大の思想運動である「ムアタズィラ」がカダル派のうちから勃興してくるのである。

アッバース朝の初期、カリフ・マアムーンは学問を愛し、古代ギリシアの書物の翻訳事業や学者の優遇などを行った。ムアタズィラの教義はこのマアムーンによって公認され、ムアタズィラ派の人びとの権勢は絶頂となった。が、これを敵視する「正統派」の人びとによって後に徹底的に破壊され、ムアタズィラ派の著書はなんと一冊も残されていない。我々は、その反対者が批判のために書いた文章によってその教義を断片的に知ることができるだけである。

その教義の最も先鋭的な点は、真理の標準として「理性」に絶対的権威を置いたことである。すなわち、ムアタズィラ派では、真理は神の啓示と預言者の言葉によって示されるのではなく、理性によって到達できると考えた。その帰結として、真理に到達できるのは独りイスラームのみならず、ギリシア思想、ペルシア思想、キリスト教、ユダヤ教などどんな宗教・思想を土台にしても可能であるとし、ここにイスラームは他の先進的な思想と同列に並び、神学の世界を飛び出し、哲学的思索への路を踏み出したのである。

ムアタズィラ派の考えでは、神もそれまでとは違ったものとして認識された。それまで神と言えば、天空を覆う巨大な人格的存在と思われていたが、合理主義を推し進めたムアタズィラ派からすれば、そのような絵空事を承認するわけにはいかなかった。そして神がどのような属性を持っているのか、という探求が行われ、次第に神は思弁的なものとして変容していく。そうして神は、人間の認識できるどんな具象的形態をも持っていない無限の絶対者となった。そこには、人間の悩みや苦しみを親身になって聞いてくれる慈父のような神はもう存在しなかった。神は形而上の存在へと隠れてしまったのである。

しかし一般の素朴な人びとにとって、そのように思弁的・抽象的な神の観念はとても受け入れることができない。もっと暖かい、包み込んでくれるような神を求めるのが普通の信仰者であった。こうして、ムアタズィラ派への大規模な反対運動である「アシュアリーの運動」が起こってくるのである。

アシュアリーは自身が熱心なムアタズィラの信奉者であった。だが一種のイスラームの近代化・合理化であったムアタズィラがカリフによって公認され、政府によってムアタズィラの合理主義が強制されるようになると、普通の人びとの間には「素朴な信仰に還るべき」という一種の懐古主義が瀰漫してくる。そういう反ムアタズィラの思潮を受け、イスラームの「宗教改革」を行ったのがアシュアリーその人であった。

アシュアリーは15日間の思索の後、突然ムアタズィラの教義を捨て去り、新しい教義を説き始めた。それは、一口に言えば「コーランに還れ」というもので、コーランの字句を文字通り信仰することを求めたものであった。それは最初、単なる復古運動的なものであったが、理性の人であったアシュアリーはそれを復古に終わらせず、コーランを土台に新たな理性主義を打ち立てていった。それは、理性と信仰を対決させるのではなく、中道を進むやり方であった。アシュアリーは近代的理性を持った信仰人のあり方をイスラームに体現した人であった。

一方、そのような「素朴な」立場でない、神学的な面からもムアタズィラ派への反発が起こってきた。例えば、当時天下に並ぶものない神学者でアシュアリー派の一員だったイマーム・ル・ハラマインは、認識論、神の属性、存在(実体と遇有)、言語論、善悪論など様々な点からムアタズィラ派への詳細な批判論証を行った。

だがその内容はまさに「神学論争」であり、いくら熱烈に神について論じても却って神の姿を見失い、思弁の泥濘の中に沈んでいく感もあり、その面ではムアタズィラと少しも変わるところがなかった。本来宗教に課されていたはずの「魂の救済」が、議論の彼方に霞んでしまっていたのである。

そういう、神学と信仰の袋小路に悩み抜いたのが、イマーム・ル・ハラマインの高弟ガザーリーだ。ガザーリーは師の死後、バグダードのニザーム学園の教授となり、幾多の俊英を擁してその令名は天下に轟き、名実ともにイスラーム世界における哲学・神学の最高権威だった。しかし彼は燦然と輝く社会的地位にありながら、信仰と理性の矛盾に引き裂かれて心に沸き上がる疑問を抑えることができなくなり、西暦1095年、名声も地位もなにもかも捨てて彷徨の旅へ出た。

そしてガザーリーは、瞑想によって直接神に触れるのでなければ、決して真の救いは得られないという確信に至った。その確信の上に構築された彼の哲学・神学は、それまでの思弁的なものとは全く違うものとなっていったのである。

ガザーリーの存在は、イスラームにおけるデカルトである、と私は思う。彼はまず全ての出発点を「自己」の認識に置く。と同時に、徹底して懐疑的なガザーリーは「認識」そのものをも疑う。そして感性的認識は全く信頼できないとし、例えば数学的命題のような疑い得ない公理に基づいた悟性的認識によってのみ真の認識が可能であると説いた。

しかしガザーリーは、「悟性」そのものにすら全幅の信頼を置くことはなかった。たとえ悟性によって疑い得ない論証ができるにしても、それは悟性という原理が最高権威であることの証左にはならないからだ。悟性すら超越する存在があることを否定はできないのである。

こうしてガザーリーは、悟性は人間精神の全体に権威を有するのではなく、むしろ悟性の力が及ぶ範囲は限定されていると考え、悟性の絶対的主権が認められている領域を「」と名付けた。そして「知」に対するものとして、信仰、つまり心の世界である「信」を置いた。ガザーリーにとって「知」は論理的に明澄で疑うところのない世界であり、それ以外はことごとく「信」の世界に属する。例えば、神学や形而上学といったものですら、いかに論証が多用されようともそれは「知」ではなく「信」の世界であった。なぜなら、悟性の領域、「知」の世界には異論や論争があるはずもないからである。

このように明澄な「知」の世界を切り出したガザーリーは、逆に「信」の世界においては信仰の内面化を重視し、頑迷固陋で形式主義に堕したパリサイ主義的イスラームに対して痛烈な批判を加え、そこに清新な信仰の息吹を改めて吹き込もうとした。伝統や形式のみに煩い当時のイスラームは宗教の権威を高めるのには役だっても、個人の精神性を育むためには無力だった。

ガザーリーは、この固形化し枯渇した信仰を再び個人の心の温床に移すことによってその生命を甦らせようとしたのである。そして道に迷う一般大衆を教導するため、大作『宗教諸学の甦生』を著したのだった。

(つづく)

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